2011年9月18日日曜日

天までとどけ! 復興への願い

今日は郷ヶ丘幼稚園の夏祭り。
幼稚園の夏祭りといっても、ただのお楽しみ会だと思って甘く見てはいけない。
在園児も卒園児も先生方も親御さんも、みんなみんなとにかく熱いのである。

子供たちの保育のためなら、全園あげて除染もするし、室内にプールも設置しちゃう幼稚園ですから…

今年は震災の影響で、短縮バージョンのプログラムとなったが、開催に漕ぎ着くまで、幾多の困難を乗り越えてきた。
格別の想いで迎えたこの日。
冒頭の園長(園長のブログはこちら)の感極まった謝辞が胸を打つ。
何をしている写真かというと…
「どじょうすくい!」
どじょうが高騰する中、子供たちに五感で楽しんでもらうための大盤振る舞いである。
しかもその場で柳川鍋…
究極の命の教育だったりするのだが、捕まえたどじょうを自宅に持ち帰り、地震予知装置として活用する人がいたとかいないとか…
渾身の太鼓、子供たちと先生方の踊り、神輿の威勢 などなど…
みんなの元気は、今年の厄を全部吹き飛ばすような勢いだった。
力を合わせれば絶対にできることを確信できる一日だった。
夜空を焦がす「げんき」の火文字と打ち上げ花火が、私たちに勇気を与えてくれた。
子供たちを全力で守り、復興を願う熱い思いは必ずや天にとどくだろう。

復興祈念 ~遅ればせながらの夏祭り~

本日、我が子がお世話になっている郷ヶ丘幼稚園の夏祭りが行われます。
花火師のお父ちゃんの御協力で、復興祈念の本格打ち上げ花火が「ドドーン」と上がります。
ぜひぜひ皆さまお越しください。
父兄、職員手造りの花提灯神輿。
子供たちを乗せて、お父ちゃんたちが気合で担ぎます。

2011年9月14日水曜日

最後だとわかっていたなら

「最後だとわかっていたなら」

原作:Norma Cornett Marek
訳:佐川睦

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること

いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を 伝える時を持とう
そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


【原文 全文】
Tomorrow Never Comes
Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action,
 and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.


出典:
 「最後だとわかっていたなら」
/ ノーマ・コーネット・マレック

/ 佐川睦
出版社 / サンクチュアリ出版
http://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/



アメリカの同時多発テロの時にチェーンメールで広がったこの詩。
レスキューにあたった消防士が作者であるとか噂が広がったが、
後にNorma Cornett Marekがお子さんを亡くしたときに作られた詩であることが分かった。
同時多発テロがあったとき私は前任地で当直していた。
人生何があるかわからない。
その時はそう思ったものの、
本当に自分にも災害が襲いかかるかもしれないということを、
その時は、本当には分かっていなかったのだと思う。

震災を経験し、私は少し変わったかも知れない。
日々こんなに面倒でマメな作業(日記やブログ更新)をする人間ではなかったから・・・
それでも、ともすると忘れてしまいそうになる。
本当は深層心理で忘れたいのかもしれない・・・

あの時のことを・・・
でも、決して忘れてはいけない!

そして、一瞬一瞬を後悔しないように生きていきたいと思う。
明日が来るということが誰にも約束されていない以上、
最愛の妻やかけがえのない子供達、大切な患者さん達に感謝の気持ちを伝えたい。
そして、ブログを読んでくださる皆様にこの思いを伝えたい。

「いつもありがとうございます」

故郷に踏み留まることを決意させた母子との出会い

ルポ・そのとき看護は「ナース発 東日本大震災レポート」のP240 綴られているFile40 津波と原発事故「故郷に踏み留まることを決意させた母子との出会い」を読まれることをお勧めする。
原発事故直後にゴーストタウンと化したいわき市。
「自分も避難するべきか?」
しかし、津波にのまれ、溺死寸前から九死に一生を得、健気に生きる母子との出会いをきっかけに、市内に留まり看護を続ける決意をした看護師さんの想いが綴られている。
家族をもつ一人の人間としての不安と葛藤の中、プロフェッショナルとしての使命を貫き通した彼女の想いが強烈に伝わってくる・・・

<抜粋>
そんな中で、津波に巻き込まれた、ある母子との出会いがありました。
~中略~
母親は、水を飲んで息が止まったT君を車から引きずり出し、自ら人工呼吸を施して病院に連れてきたと言います。
~中略~
ほかの家族も亡くし、家も流されたと知って、T君は表情もなく、言葉も発することもなくなっていました。
~中略~
T君からは「励ましてもらって、心も体も治りが早くなりました。将来は医療関係の仕事に就きたい」というお手紙もいただきました。
~中略~
私の家族も○○○の親戚のもとへ避難していきました。
~中略~
私は避難しないと告げると「子どもを亡くすようなことになったら、どんなに親はつらいかわかるか」と、親に泣かれました。
~中略~
「2~3日して病院が落ち着いたら、後を追って避難する」と嘘をつき、家族を送り出したのです。
 3日後、避難先の父親に電話で自分の気持ちをきちんと話しました。「津波にのみ込まれてあんなに恐ろしい思いをしたのに、それでも懸命に生きようとしている人が目の前にいる。そんな命を見捨てては行けない。小さな頃から看護師になりたくてなったのに、ここで残らなかったら、私はなんのために看護師になったかわからない」と。親は納得してくれました。電話の後、父は「娘を誇りに思う」というメールを送ってきてくれました。
~中略~
疾患から患者さんを見たり、病気だけに目を向けるのではなく、もっと人としてかかわり、その人の思いに寄り添っていくことで、患者さんが治療に専念できる状況をつくるような看護がしていけたらと思います。


不用意に軽い気持ちでこの本をナースステーションでチラ見していたら、思わず号泣してしまい、とてもみっともないことになってしまった。
やはり前頭葉が・・・
ルポ・そのとき看護は
日本看護協会出版会編集部
A5 704ページ(判型/ページ数)   978-4-8180-1611-8
地震・津波・原発事故による未曾有の大災害に対し、看護職がどう行動し被災地域の医療を支えたか、看護は何をできるのかについての活動レポート集。自らも被災し悲しみを抱えながら必死に医療活動を続けた人、被災地のために何かしたいと情報もない中で現地に入り、不眠不休で支援を行った人、被災地の患者・住民を受け入れた施設など、さまざまな立場の看護職183人による活動報告は、看護の力の大きさ・すばらしさを改めて感じさせます。すべての看護職の方に読んでいただきたい1冊です。フォームの終わり

2011年9月13日火曜日

満月と精神疾患

快晴の夜空。
世間では中秋の名月を愛でている時に・・・
自身は当直である。
それにしても美しい!
さて、それにしても忙しい・・・
しかも、原因が器質的と言えない患者さんが多い。
救急車5台目を診たところで、さすがに満月と急患の内容との関係を知りたくなる。


在宅の精神疾患患者を対象にした研究では、統合失調症の患者には満月の時期に症状の変化が見られたことが報告されている。1)

スペインの研究者たちは、救急部門を受診する暴力の被害者の数を調べた。結果は、統計学的には有意ではないが、満月の夜には被害者が多い傾向が見られた。2)

スペインでは、消化管出血による入院が、満月の時期には多くなる傾向が認められたと報告されている。3)

〔参考文献〕
(1)J Psychosoc Nurs Ment Health Serv. 2000 May;38(5):28-35.
(2)Eur J Emerg Med. 2002 Jun;9(2):127-130.
(3)Int J Nurs Pract. 2004 Dec;10(6):292-296.

因みに「満月」「疾患」で検索すると「満月様顔貌」ばかりヒットして面白かった。
結局、満月に人が凶暴になったり、精神的に豹変したりするという強いエビデンスは見つからなかった。

仮眠します・・・zzz

2011年9月12日月曜日

家庭医をブレイクさせちゃおう!

避難所で多くの人々が不安な時を過ごす中、一人の先生が診療所近くのいくつかの避難所を毎日巡回していた。
ご自身の診療所自体も被災しているのにもかかわらず・・・

「薬がなくても、優しい言葉と笑顔が医者の原点」と語るその先生は、私が家庭医を志すきっかけとなった最も尊敬する人物の一人である。
危機的状況の中で、慣れ親しんだ地域のかかりつけ医からの「大丈夫、心配ないよ」という言葉が、どれだけ多くの勇気を与えたかは言うまでもない。
その先生は、いわき市にある小さな漁村の診療所で50年以上にわたり、その地域の医療を守り続けてきた。
年齢や疾患領域を問わず地域に発生するあらゆる健康問題に真正面から向き合い、まさに家庭医と同様に地域に根差した医療を実践し続けてこられた。
その姿勢は今回の未曾有の大災害の中にあっても何ら変わることはなかった。
家庭医療の専門研修の経歴が無くても、個人の努力で既に地域で家庭医の役割を立派に果たされている先生方もおられる。
それはとても尊敬に値することであるが、そういった個人の努力に支えられている日本の地域医療システムは、いかにも脆弱であると言わざるを得ない。
また、現在の日本の医学教育制度の中では、個人の努力だけで家庭医に必要な能力を身につけることは極めて困難であり、実際に家庭医の数が絶対的に足りない。
医学の進歩により、医療の専門分野は急速に細分化し、患者さん側にも各臓器ごとの専門医による治療を求める傾向が強まった。
医学教育も縦割りの専門研修が中心となり、その結果、あらゆる健康問題に対応する家庭医が育ちにくい研修環境になってきた。
しかし、震災前から医師不足・偏在が特に問題となっていた福島県では、地域医療再生のため当講座を中心に既に県ぐるみで家庭医育成に取り組んでいた。
県内各地での研修は順調に進み、すでに若い家庭医たちが育っていて、各地の家庭医療研修施設を舞台に地域・家庭医療センターを随時オープンしている。
それでも、未だに多くの方々が避難生活を強いられている福島では、このプロジェクトはよりスピードを上げて遂行することが求められていて、家庭医の数がまだまだ足りない現状である。
今こそ多くの家庭医を次々に育成する必要に迫られている。
そして、家庭医育成はもはや福島だけの課題ではない。
家庭医を志す日本中の医学生・研修医が、みな当たり前のように家庭医の専門研修が行えて、すでに地域の診療所で医療を実践している医師も家庭医療実践のために必要な技術を学ぶことができる環境を、一刻も早く整備する必要がある。

どんな時も地域住民と共に歩んでくれる家庭医を求めて欲しい!

今までは「そんな医者は周りにいない」と諦めていたかも知れない。
しかし、求めないものは決して提供されない。
国民全体から家庭医を求める声が増えれば、家庭医育成と理想の地域医療の実現に向けた動きが急激に加速する。
地域住民と共に生き、苦しい時も嬉しい時もいつも寄り添ってくれて、いざという時に助けてくれる“あなた”の家庭医を貪欲に求めて欲しい。
また、家庭医が日頃から地域の保健師さんや看護師さん、ケアマネージャーさん、行政職員さんらとともに、地域住民に対し健康問題に関する適切な指導・管理をおこなっていれば、災害時でも日常でも地域住民が主体的に疾病予防やセルフケアをおこなうことができるようになる。

今回の震災で学んだことを無駄にしないために、どんな状況下でも機能し続ける地域全体の健康づくり(地域医療ガバナンス)を地域で利用できるすべての医療資源を総動員しつつ、国民一人ひとりが主体的に参加して創りあげていく・・・
そして、地域医療ガバナンスの構築のために指導的役割を果たすことができる家庭医の育成を支援していただきたい。

これからも私たちの前には数多くの困難が立ちはだかるだろう。
しかし、困難だからといって先延ばししている余裕は、もはや今の日本にはない。
“待ったなし”でやるしかないのだ。
私には家庭医療に対する熱い思いを共有し、支え助け合うことができる多くの仲間がいる。
そしてこの思いが広く伝わり、国民一人ひとりの行動につながれば、理想の地域医療再生は必ず成し遂げられる!

私はそう信じている。

震災時だけではない! ~日々繰り返される地域医療崩壊~

常日頃思うこと…

質の高い医療が地域で円滑に提供されるための条件として、地域の診療所の医師と病院の各科専門医との良好な連携は最も重要な要素といえる。

その両輪が常に機能していなければ必ず脱輪する。
今回の大震災の急性期においても、軽傷患者のケアや慢性疾患の継続的管理、および疾病予防のための生活指導などを担うべき地域の診療所の医師の役割はきわめて重要であった。しかし、実際は地域の診療所の多くが診療を継続することができなくなり、地域医療を守るネットワークとしての機能は完全と言っていいほど麻痺した。
その結果、多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフは疲弊し、より重症な患者や専門的な治療を要する患者のケアといった本来病院が担うべき役割を果たすことが困難になった。
なぜそうなったか?

被災地ではあらゆる連絡手段が一時完全に寸断された。
その結果、系統だった医療連携が立ち行かなくなった。
その結果、地域医療の崩壊を招いたという指摘がある。
また、原発事故による放射能汚染の影響で支援物資の物流が滞り、いわき市をはじめ福島第一原子力発電所の周辺地域では水や食料のみならず深刻なガソリン不足をきたした。
そのことが、医療機関の職員の通勤や訪問診療・訪問看護をも困難にし、小規模な医療機関から順に診療中断を余儀なくされていったことも事実である。
しかし、原因は本当にそれだけなのだろうか?

現在の日本では、地域の診療所の医師のほとんどは個人開業で、しかもその大多数は開業直前まで病院勤務していた各科専門医である。
したがって家庭医のように何でも相談して診てもらえるというわけにはいかない場合を想定しなければならない。
「○○眼科医院」「◇◇神経内科クリニック」などといった具合に、診療所名や看板の表示を見ると医師の専攻科目が分かるようになっていて、症状や目的に応じ、患者さん側が診療所を自由に選んで受診している。
このことは、誰でも自由に専門的な医療が受けられるため、日本の医療システムの良い点として捉えられる場合もあるが、裏を返せば、医療の素人である患者さんが何科にかかるべきか自分で判断しなければいけないという短所にもなる。
また、地域医療を支えるべき診療所の役割分担が、地域ごとに分かれているのではなく、診療科ごとに分かれているため、「この地域はあの先生が診てくれる」とか、「この地域は診療所ごと被災してしまったので、隣の地域のあの先生がきっと助けてくれるはず」といった暗黙の了解は存在せず、地域における医師の責任が曖昧である。

今回の震災を通し、様々な健康問題を抱える多くの人々を地域包括的に効率よくケアすることが求められる場面に直面し、今の日本の地域医療システムが、災害時においていかに脆弱で非効率であるかを痛感した。

ところで、日本の医療の欠点が露呈するのは災害時だけだろうか?

多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフが疲弊してしまうという状況は、今の日本においてもはや災害時限定の特殊な問題ではなく、実は毎日のように起きている重大な社会問題と言える。
診療所の医師のほとんどが個人開業している現状では、たとえかかりつけの患者さんであっても、一人の医師で24時間365日対応できる体制を整えることは現実的ではない。
それでも医師がプライベートを犠牲にしていつでもかかりつけ患者と連絡がつく体制を整えている場合や、地域の医師会や行政の努力で休日夜間診療所や当番医を設けている場合があるが、あらゆる健康問題が持ち込まれる時間外診療では、病状によっては専門外の問題で対応が難しいケースも少なからずあるようだ。

結局、休日や夜間には患者さんが病院に殺到しやすい現状である。