2013年10月30日水曜日

東京慈恵会医科大学付属病院 臨床研修(地域医療)2014年度説明会

今年度から研修施設の新規メンバーとして「かしま病院」を加えていただいている、東京慈恵会医科大学付属病院 臨床研修(地域医療)プログラム。
今年度は7名を受け入れ、すでに5名が研修を終えている。

研修医には、地域における家庭医の役割や、患者中心の医療の方法を実践しながら深く学んでもらい、その成果を実践家庭医塾などで発表してもらっている。

研修を終えた多くの研修医からは、ありがたい感想が寄せられていて、教育担当として、ますますやりがいを覚えている。

熱心な研修に心から感謝している。


さて、錦秋の候。
今日は「かしま病院」での地域医療研修プログラムを宣伝しに半日日帰りの強行軍で江戸にお邪魔した。

これだから田舎もんは困ると言われそうだが、そういえば特急に乗るの、一年前のこの会依頼かも…

大学が高いビルなのも不思議な感覚。
研修医も多い!

後輩研修医に向けて、すでにいわきでの地域医療研修を終えた先輩研修医が、他ではなく、福島県いわき市のかしま病院で研修するメリットについて、熱く強く伝えてくれた。


都心の大学病院で学ぶ51名の臨床研修医のみなさん。
来年度も、そのうち1人でも多くの研修医を受け入れて一緒に学びたい。
そして、今年度よりもさらに充実した地域医療研修を提供できるように、プログラムと教育体制を工夫していきたい。

いわきでの研修が、医療人としての生涯の財産になるように…

2013年10月24日木曜日

エピペン再来! ~歪んだ地域包括ケアの現状~

再び、市内の小学校からエピペンを用いたアナフィラキシー対策についての、教職員向けの講演依頼があったのでその準備をしている。
個人的には本望な話であるし、お話をいただけるのは光栄であるのだが、今回は、決して「近くの学校」ではないだけに、私のところまでお話がたどり着いた経緯には腑に落ちない点がある。

本来、学校内の保健管理上のコモンな問題へのアドバイスは、学校医によりなされるべきであろうと思う。
しかし、専門分化された現在の日本のプライマリ・ケアの現場では、与えられた課題が学校医の専門外になると、必ずしも対応が可能でないこともあるという事情があるようだ。
たとえそれが、日常よくありがちな健康問題であっても…

今回のお話でも、講師が見つからずに、学校側では大変お困りの様子であった。
学校医の先生は「対応できない」との回答で、やむを得ず保健所に相談したら、関東のボランティア団体?を紹介されたとのこと。いわきはいちおう中核市なんですけどッ!
で、結局 巡り巡って小生のところまでお話が届いた次第…
そのお話を伺って、いま現場で困っている人たちを導くシステムがないことに愕然とした。

講演では、エピペンの使い方をマスターすること以上に、エピペンを打てる環境・組織作りの重要性。そして、すみやかに受け入れる医療機関が確保できることの意義をお伝えしようと思う。
そして、こういった企画の講師が見つかりにくい日本の事情を説明しつつ、倍返しというわけではないが、ちゃっかり家庭医療の宣伝もしちゃおう!と企てている。

高齢者医療の崩壊だけでなく、地域包括ケアをリードしていくべき学校医が学校保健の中で機能していない現状もまた、地域医療崩壊を垣間見るの1つの形であるし、これまでの日本の医学教育がもたらしている歪みそのものである。
プライマリ・ケアの利用者が、プライマリ・ケアの担い手を、必死に探さなければならないし、それでも見つかるかどうかわからないのが、今の日本の現状!
それなのに、「病院志向になるな!」「コンビニ受診するな!」「気軽に救急車を呼ぶな!」と広報したところで、「じゃあどうすればいいの?」と10倍返しされても当然の結末なのである。
だから、今回のことは、単なるエピペン講習の問題ではなく、これから地域医療を改革していくうえで、地域単位でプライマリ・ケアを担当する家庭医・総合診療医の役割を明示し、実践できるシステムを作ることがどれだけ重要かを強く示唆する大事件なのである。

自然体であること

人生のクライマックスを自宅や長年お世話になった介護施設で!

そんな素朴な望みに応えていきたい。

今日は強くそう思った。

ご本人も、ご家族も、残りの人生がそう長くないであろうことを受容し、大切な時間を大切な人と過ごしたい。
そんな純粋で素朴な思いをお持ちの方は多い。
しかし、それは簡単にできることではないだろうとはじめからあきらめてしまっていることも多いように思う。
事実、終末期を在宅で過ごすためには、多くの介護力、訪問看護や訪問診療などの医療的サポートが必要になる。
現在のわが国では、これらの供給体制が絶対的に不足していて、特に医療的なサポート体制がとれずに希望が叶わないという話をよく耳にする。
家族もまた、自宅でも多くのサポートが受けられる可能性があることを知らずに、「絶対無理!」と、はなからあきらめてしまうこともあるだろう。
結果、多くの方々が、望む望まないにかかわらず、医療機関で最期をむかえることになる。

入院治療が救命につながらず、また、本人・家族もそれを望まないのであれば、病院のような日常からかけ離れた場所で過ごすべきではない。
個人的には強くそう思うのだが、現実には沢山の方々が、病院の中でやがて来るであろう臨終のときを待っているのである。

一方、今日は、退院後お初となる2件を含む計4件の終末期の方々の訪問診療をさせていただいて、住み慣れたところで最期の時を過ごすことが、どれだけ自然なことかを見せつけられた。
皆さん“たたずまい”がとにかく自然なのだ。

水の中で泳ぐ魚。
こたつにもぐる猫。
やたら吠える躾のなってない犬。
休みの日にはトドみたいに家でゴロゴロしている親父。
いくつになってもイケメンにときめいちゃう女子。
「やるな」言われたことは必ずやって見せるキカンボウ!

このようなあたりまえの光景と同じく、あたりまえの患者さんの姿がご自宅にはあった。

好きなように過ごし、好きなことを言い、機嫌が悪ければ何もせず、病院では決して許されない本当の自由がそこにある。

このような自然をサポートしたい。
こころからそう思う。
そして、一人でも多くの方々が、自然に帰ることができるように、同じ価値観を持った医療人たちが力を合わせてゆくことが大切だと思う。

2013年10月20日日曜日

家庭医として医学教育に関わるということ ~第87回 FaMReF@福島医大~



今日は講座月例の公開フォーラムFaMReF。
今回のFaMReFのテーマは、医学教育。
しかも今回は部内持ち回りの指導医レクチャーの順番がまわってきた。







FaMReFは、レジデントのポートフォリオ作成支援も兼ねているので、「日本プライマリ・ケア連合学会 基本研修ハンドブック 2012 南山堂」に準拠した内容の「おしながき」もこなしつつ…


「わたしたちにとって医学教育とはなんぞや?」

折角の機会なので、少し本質的なところまで考えてみた。

むかしの偉いお医者さん曰く
「患者のいないところで 教科書のみでは教えないほうが 安全である。最善の教育は 患者自身が教えたものである」 William Osler, 1903

これに触発されて、自分も医学教育の定義を考えてみた。
「臨床家にとって 医学教育とは 医療の利用者から学ぶ方法を 初学者-上級医との間で 双方向性に共有することである」 Atsushi Ishii, 2013

教えるということは「仲間とともに、患者さんとともに、患者さんから学ぶということ」なんだと思う。

老子曰く 「授人以魚 不如授人以漁」 

目の前の患者の診かただけを教えるのではなく、患者から継続的に学ぶ方法を、ともに実践し、互いに伝え合っていきたい。

また、学習者にもいろんなキャラクターやニーズがあるけれど、それは、患者さんにいろんなキャラクターやニーズがあるのと同じで、患者中心の医療の実践を心がけ、学び続けるのと同様に、僕らは、学習者中心の医学教育を心がけ、学び続ければよいということを確信した。

「学習者を惹きつける魅力は教育です.教育活動が活発に行われている講座・部局・施設に学生は関心を示しますし, 教育活動が活発に行われている病院に研修医も集まっています.若い人が集まり活気のあるものにするには, 教育をいかに活性化にするかが大切です.」 2013731日日本医学教育学会理事長 伴信太郎

伴先生が述べられている通り、いかに楽しく、継続的に、教育環境を整えていくことが重要であるかを、日頃の診療・教育の現場で実感している。

ここまで医学教育について考えてきて、ふと思い出したことがある。
それは私たちにとっての最高のエールでもある。
以前、長崎から福島を訪れてくれた森薗君の言葉…

何より心に残っていることは、福島で出会った先生方が、とても楽しそうであったことだ。仕事を楽しんでいる。その姿を見せることが本当は一番の教育なのかもしれない。

これは日経メディカルオンライン「カデット」の体験リポートの結びに掲載されている。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/igakusei/report/201304/530078.html
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/igakusei/report/201304/530078_2.html

また地道に頑張ろうと思う。

2013年10月17日木曜日

実践家庭医塾 ~初期研修医が追求する患者中心の医療~

まあ、よくぞここまで!

毎回思うのだが、特に今回は家庭医療を知ってわずか2週間で、と思うと余計に研修医の成長が嬉しい。
現在、地域医療ローテート中の彼は、タイガーな甘いマスクを武器に、色んな意味で注目の的である。
好例となった臨床研修医による患者中心のプレゼンテーション。
いわきでの地域医療を通して学んだことを、見事にまとめあげてくれた。
特に感心したのは、彼のプレゼンのキーメッセージとして、

「Be There!」

をとりあげていたこと。

患者・家族と一緒に危機を乗り越えるために、ただそこにいることに意味を見い出すことができるセンスを大切に、これからも成長していってほしい。

経験の浅い医師であっても、患者さんの人生そのものを診るために今すぐにできること。
今すぐに実践すべきことは何かを学び、わきまえて行動してくれていることが何よりも嬉しい。

彼が羽ばたく未来はもう澄みきっている。

2013年10月14日月曜日

急に熱を出すと・・・

急に熱を出すと、色んな方々に迷惑をかけますねぇ~
これって非常にコモンな状況にもかかわらず、職務上のバックアップ体制はほとんどありませんから・・・

まあ、ゆっくりと計画的に熱を出すということは普通ないので仕方ないのだが、
こんな時は、あらためて医者はなるべく1人で行動しちゃいかんと思う。

扱う対象が人命である以上、電気・ガス・水道といったライフラインと同じように、
何重ものバックアップや復旧体制が必要。

個々の医師などの医療・介護スタッフの自主性や努力に依存し、ライフラインとしての医療・介護の整備や、医師などの医療・介護スタッフのの配置を後回しにしてきた今の日本の医療・福祉供給体制は、まるで虫食い状態のまま稼働し続け、歪みの修正が困難になっている。

2030年の超高齢社会、日本が医療・介護難民に溢れる孤独死や自殺が蔓延する地獄と化すのか、笑顔溢れる未来の鉄人社会に生まれ変わるのかは、わずか数年以内に国民総動員のムーブメントがあるかないかにかかっている。

沢山の皆さんに問題意識を持って欲しい。
自分や家族が医療や介護を必要としなければ気づかない我が国の危機。
今のままでは、そう遠くない未来に、日本でまともな医療や介護は受けられなくなることを知って欲しい。
しかし、まだまだ手遅れではないことも・・・

医療や介護そのものを生活の一部として組み込んで、その周りに多彩な関連雇用が生まれて、老若男女問わず元気なパワーはもらさず社会還元していくような街づくりをすれば・・・

なんて寝込みながら脳内で構想を練っているうちに解熱し、無事復活!

折角の連休なのに退屈させた子供らに罪滅ぼし。
ベタベタの三崎公園だが、ここってこんなに広かったっけ?

 手乗りマリンタワー

花と蝶?

近くにいいとこたくさんある。
こんないわきを誇れる街に創生していこう!
裸足で駆け回る怪獣を見てそう思った。

2013年10月7日月曜日

トランス状態?が打ち砕く苦手意識 ~人生初の楽しい運動会~

私は運動が大の苦手である。
当然、運動会は嫌い!

何が苦手って、私は全力疾走をするといつも、スタートから40Mを過ぎたあたりから必ず急性の両下肢脱力に見舞われて失速し、それでもそのまま強引に走り続けると眼前が真っ白になり、その後最終的には酷い嘔気に見舞われ、けれど嘔吐すると速やかに治癒する。

発症は確か小学3年頃で、現在に至る。

そんなことを繰り返してきたから・・・
こんな体質で運動会を好きになれるわけがない。

全力疾走しなければ起こらない現象であるけれど、結果、短距離走は大の苦手とならざるを得ない。
なのに、他のことをしながら全力疾走するバスケットボールやサッカーなどでは大丈夫だし、長距離走、つまり校内マラソン大会とかでは・・・
中学で約200人中10番台とか、高校でも約500人中30番台とかで、むしろ得意な方だった。
なので、先天性筋疾患などでもなさそうだし・・・

こんな状況を来す疾患の snap shot diagnosis ってあります?

日常生活では全く支障がないので、敢えて診断するつもりも、診断する必要性も感じてはいなかったけれど、できればこの状況を密かに克服したいとは幼少時より思っていた。
状況的に、準神経症領域の準病的状況がもたらす現象であろうと見積もって、自分に「大丈夫、普通に走れる!」と何度か暗示をかけてみたりもしてみたが、あまりうまくいかなかった。
かといって、全力疾走前に精神安定剤を頓服するのも理不尽だし、してみたこともなかった。

昨日は、末っ子の幼稚園の運動会。
ただの運動会ではない。
父兄も参加型の、しかも本気で参加型の運動会。
父兄によるガチのリレーもある。

自分にとって、一番いや~なやつ・・・

しかし、今日の運動会ばかりは楽しかった。
わりと真面目に走ったのに気持ち悪くはならなかった。

ほぼ徹夜で挑む運動会。
運動会が嫌で眠れなかったのではなく、強制的に・・・
つまり前夜は当直。
眠いような気持ちいいような夢心地の運動会。
この状況=ほぼトランス状態で迎える運動会自体 人生初か?

運動会では、子供たちがそれぞれの力をできる限り、あきらめず最後まで挑戦していた。
運動会を開催するために、どれだけの苦労があっただろう?
何年にも及ぶ除染、前日の降雨への当日早朝からの園庭の水処理と再整備・・・
多くの方々の力の蓄積が、子供たちの未来を創出している。
そんな大人たちからの沢山の愛を受け止めるかのように躍動する子供たちを目の当たりにして、
私はこの際、自分の走りなどもう どうでもよくなっていたのかもしれない。 (いい意味で)

そもそも、運動会とは、運動会嫌いの人間を苦しめるためのものではなく、私たちの成長のためにあるもの・・・
まさかそれが、親の代に対しても続くとは思ってもいなかったけれど、物事の本質・本当の目的を理解し、先入観を取り払ったことで、この年になってやっと運動会というものが少し好きになれた日曜の午後であった。

ちなみに、運動会での子供たちの活躍ぶりは、しかとこの目に焼き付けているので写真は一枚もない。

それにしても、子供たちにとっても運動会は、とても疲れるらしい。
ご褒美の外食の後、いつもより早く爆睡に就いた息子・・・

2013年10月1日火曜日

嬉しいご依頼 ~地域医療研修プログラムの更なる充実を目指して~

本日は、東京慈恵会医科大学附属病院臨床研修センターの先生方が、今年から開始となっている当院での地域医療研修の受入れ枠を、来年度以降段階的に増員して欲しいとのことで、遠路いわきまでご挨拶におみえになった。
お話によると、すでに当院でのローテートを済ませた研修医の先生方からの、当院での研修内容への評価がとても高いので、今後、受入れ人員も、研修期間も拡充の方向で進めさせて欲しいとのこと。
建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」に象徴される、患者中心の医療の先駆けである大学から、このようなご評価をいただけるのは大変光栄なことである。
地域医療研修プログラムの教育担当として、この上ない喜びであり、お手土産の 慈恵医大&コロンバン コラボの慈恵医大学章入りオリジナルクッキーのように幸せな甘さを感じるとともに、身の引き締まる重い想いでもある。


最近、訳あって医学教育について多方面から考える機会があるが、実際の臨床・教育の現場で、学習者のニーズを叶えつつ、そのニーズをど返ししてでも伝えるべきものを、バランスよく伝えていくことの難しさを日々感じている。

そんな中、日本プライマリ・ケア連合学会認定の病院総合医養成プログラム福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース 病院総合医フェローシップのプログラム責任者を拝命することになった。
これからも、より多くの学習者(学生や研修医、若き指導医など)に「いわきで学んで良かった」と思ってもらえるように、今後さらに「いわき」ならでは の学べる仕組みつくりに努めてきたい。