2012年3月8日木曜日

笑って泣いて生きていこうぜ Baby! ~国創りへの切なる思い~

東日本大震災後のかしま病院外景

原発事故の恐怖に怯えていたあの不安な日々(被災日誌)“貧しくても不便でもいいから、幸せな国「日本」を創りなおそうと心に誓った”僕のあの想いは今も全く変わっていない。

むしろ、3.11を目前にして、その想いは日々強くなるばかり…

僕らは東日本大震災という魔物に多くのものを奪われ、今まで感じたことのない悲哀、恐怖、屈辱、苦痛がもたらされ続けている。
だけど、そんな想いをしているひとがいる時、必ず手を差し伸べてくれるひとがいることを思い知った1年でもあった。

辛さを埋めて余りある温もり…

これまで、こんなに転がるように笑って泣いたことがあっただろうか?

これほどまでに「生きている」ことを実感し、「幸せとは何か?」深く考えた年はなかった。

これから先、何が起こるか分からないけれど、互いに支え合うことができれば、どんな時でも上を向いて歩いてゆける。

切にそう思う。

便利さを追求し続けてきた現代、気付けばお金さえあれば人と直接会話しなくても生きていけるようになってしまった。
しかし、どれだけ 物が、お金が、電力が満たされていても、支え助け合って生きていく喜びを感じられなければ、そこに幸せは決しておとずれない。

被災地では、利害度外視でひとのために尽くす動きが盛んだ。
そしてそれに携わるひとはみな決まって活き活きとしている。
支え助け合う幸せを共有することで生まれる力は巨大だ!


一方、最近の国会中継を見ると、お金の使い道について各党が互いを貶し合う様子ばかりが映し出され悲しい気持ちになる。
どう考えても足りない予算。
互いの上げ足とっても前に進めるはずもない。
小学生の学級会ですら もう少しまともにみんなで意見を出し合い、力を合わせて建設的な結論を導き出している。
もはや公約違反の与党だけで物事を決めている場合ではないが、金も時間もないのに解散総選挙を要求している場合でもない。
公約違反なのは既にもうみんな知っているのだから、それでいいじゃない!
出来ないって分かっているひとを責めても虐めても何も生まれない。
出来ないなりに職務を全うできるように優しく手を差し伸べてあげるのが本当の優しさというもの。
勿論それは極めて理不尽な話である。
しかし、いま必要なのは正論ではなく整論。
予算が足りなくても国民が幸せに力強く生きていける国を創るための舵取りを国会議員総参加で知恵を出し合って実現して欲しい。
公約違反している以上、与党も野党の話を取り入れなければならないし、野党もこれ以上与党の邪魔をするのはやめて、支え助け合いながら今のメンバーで実行出来る最大限のパフォーマンスを期待する。


与野党ともに国を代表する方々、これほどの難局であっても必ずや成し遂げるポテンシャルをお持ちであると信じている。


党の垣根を超えて支え助け合う姿(これは大連立とは全く意味が違う)を国会で見ることが出来たら国民はどれだけの勇気をもらえるだろうか?


笑って泣いて生きていける幸せな国を本気で創ってくれる人は誰なのか?
いま国民は注視していると思う。


理不尽に耐えて国のために力を尽くすことができるひとはきっと報われるし、たとえ評価されることがなくても、ずっとどこかで笑って泣いて幸せに生きていけるに違いない。

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