2014年6月22日日曜日

「型」が身につくカルテの書き方 ~第19回 FACE~

磐梯熱海の源泉かけ流しと、宴会と並行した夜~翌朝未明までの部がセットとなった福島自慢の勉強会FACE

今回は、病院の家庭医として診療・教育に活躍されていて、週刊医学界新聞レジデント号の連載記事『「型」が身につくカルテの書き方』でご高名な北海道勤医協 総合診療・家庭医療・医学教育センターの佐藤健太先生をメイン講師にお招きしての開催

2日間かけて、臨床推論の「型」、カルテの書き方の「型」をたっぷりとご教示いただいた。
基本の「型」をしっかりと身につけることは、医師としての骨格を成すのに等しい。
それは、診療能力を高めることは勿論、多職種連携の助けにもなり、リスクマネジメントにもなる。
そんなことを深く実感できる貴重な学びの時間になった。
よくある疾患の管理だけでなく、地域の健康問題や健康増進、心理・社会的ケア、複雑性や不確実性をはらんだ困難事例などを扱うことが多い家庭医・総合診療医にとっても、最終的には基本の「型」が身についていることが最強の武器になる。
高齢者の複雑・混沌とした困難事例にも、その専門家としてのプライドをもって、果敢に関わっていこう!
そんな明日への勇気をいただいた。




新しい風 ~家庭医療セミナーinいわき 実践家庭医塾~

震災から一定の時を経て、震災がもたらしたものが何なのかが浮き彫りになってきた。
殊に、医療に関して言えば、避難生活の長期継続を余儀なくされた新しいコミュニティーの形成、高齢者比率の上昇にともない、必要とされる医療の質と量が変化している。
単純に考えれば、医療を必要とする患者の実数、つまり医療需要は増加している。
一方で、医療の供給は?というと… この地はまるで陸の孤島… ほとんど援軍のない長期籠城ののようなもので、疲れ果てた兵士が「いつまで続くのか?」という想いを抱えながら皆歯を食いしばっている感じだろうか?

いまのいわきの状況を「悲惨」とか「崩壊」とかネガティブな言葉で表現をすることは容易だが、このような状況は、遅かれ早かれいずれ日本全国や世界各国で起きることが予測されているので、あえてポジティブな言葉で表現するならば、ここは紛れもなく「最先端」であり「先進地」なのである。

私たちは、多くのものを失ったが、失わなければ得られなかったであろう多くのものも手に入れつつある。

そんなことを実感できるようなエピソードがあった。

病院嫌いなどの理由から医療機関を受診することなく、けれど実は危機的な状況で自宅に潜伏している患者さんがいるとして、たとえ、地域包括支援センターの職員さんがその事実を認識していても、患者さん本人が積極的治療を希望しなかったりすると、包括の職員の方も手をこまねいてしまうものだ。
結果として、本人が拒否できなくなるほど重篤な状態になってはじめて、救急要請・救急搬送という事態を招いたりする。

しかし、ここは世界の先進地だけあって、すでに徐々に変わってきているようだ。
患者が希望しないから放置もしくは見守るだけ、ではなく早目に医師も巻き込んだ多職種が連携して対策を練っておけるように、包括の方が「こんな患者さんが病院にかかりたがらず自宅にひきこもっているんですけど…」と相談してくれたのだ。
私たちは、常日頃 患者さんやご家族が「医者にこんなこときいてもいいのかな?」と遠慮しないで済むように、「何でも相談していい」というメッセージをおくるようにしているが、それと同様に、ケアのスタッフにも、「困ったら、というよりなるべくひどく困る前に何でも早目に相談してほしい」というメッセージを地道におくり続けてきた。
そのことが一つの形になった瞬間であった。

「こんな良い機会はない」
当然、いわきで地域医療を学んでいる研修医君たちに出動するように指令を下したが、特に都心の大学病院からいわきに到着したばかりの研修初日の初期研修医にとっては、かなり混沌とした状況を目の当たりにして、衝撃体験であったし、途方にも暮れたようである。
しかし、そこからの彼らの学びが素晴らしかった。
患者中心の医療の方法や高齢者総合評価などを駆使しながら、医師が病院から地域に出ていく意義、患者さんや家族の物語:病気の体験だけでなくどう健康でありたいかという想い、多職種とのかかわりの中で困難な状況を打開するために知恵を出し合うという体験…



先日の実践家庭医塾では、これらの数えきれない学びの体験をまとめて発表してくれた。
発表と議論を通し、多くの先輩医師からのアドバイスももらえて、更に学びを深めたようである。
そして、ここでしかできない診療体験をしてくれた若者たちには、ここにしかない類のお店でのおもてなし!こうして夜が更けてゆくのであった。

「なんとかしたい!」福祉と医療と地域をまたにかけたチームプレー、若者の訪問と彼らの学び…

いま、私たちの周りでは新しい風が吹いている。


2014年4月10日木曜日

吸血鬼のような指導医


バタバタとした慌ただしい雰囲気の中、今年も無事新たな2014年度を迎えている。
しかし、何よりも嬉しいことに、当講座の家庭医療学専門医コースの後期研修医として4人、大学院博士課程1人の総勢5人の新人を迎えることができた。
確固たる信念と熱意をもって、今の福島の医療界に飛び込んできてくれた彼らは、就任早々大車輪の活躍をしてくれているのだが、そんな前途洋々な姿を見ていると、彼らの成長を心から願い、「ここを選んで本当に良かった」と思ってもらえるように「自分もいま一度ネジを巻きなおさなければ」という想いを強くするのである。

というのは、ややよそ行きの建前で、若者のエキスを頂戴し、自分のネジを若者の手を借りて巻きなおしてもらっているというのがホントのところである。
彼らは、そもそも私が向かいたかった方向を思い出させてくれるし、時にそこに向かうための新しい発想すら提供してくれる。
指導医とは名ばかりで、学ばせてもらうことの方が遥かに多い。

患者さんやご家族、地域の方々の日頃の臨床研修や・臨床実習に対するご理解とご協力、そしてこの一期一会の出会いに感謝しつつ、ともに学ぶ文化を更に発展させていきたいと思う。

2014年3月15日土曜日

福島県立医科大学 家庭医療学後期研修プログラム 第5期 研修修了祝賀会


今回、めでたく家庭医療後期研修プログラムを修了するのは、沖縄出身の山入端浩之先生
震災直後の2011年度に、いわきのかしま病院で研修してくれた彼の卒業は、現地の指導医として心の底から嬉しい。
彼のスゴイところは、より良い研修環境を自らの努力で きり拓く力をもっているということ。
彼の学ぶ姿勢は、指導医陣のやる気に火をつける。
自分も負けずにあらためて勉強しなおしてみよう。
指導医をそんな気持ちにさせてくれて、共に学ぶ環境を創りだせる不思議な魅力をもっている。



多くの科の先生方、多くの職種のスタッフみんなに愛されて立派に育ってくれた彼。
お世話になった方々に囲まれて、和やかな雰囲気ながら、感動的な式典となった。
これからもお互いに成長していこう!

家庭医療後期研修 研修修了記念講演(卒業試験?) 第92回 Family Medicine Resident Forum @ 郡山

年度最後は卒業認定プレゼン付きのFaMReF
今回、研修修了に臨む5期生の山入端先生の合格を祈りつつ、、、


先ずは、田渕先生の指導医レクチャー
本日のテーマは「コミュニケーション」
教科書に書いてある理論やスキルはさておき、日々の経験に基づいてディスカッションする楽しく深いセッション
寺子屋のような和室でワイワイがやがや自由に語り合った。
だれにもそれぞれ しっくりくる自分らしい語り口ってあるよね。
マニュアル化できない自分流のやり方があるという、ごく当たり前でありながら、とても大切なことを再認識させてもらった。
一方で、天性のものをもっていなくてもある程度のレベルに到達できるための、基本の「型」というものはやはり大事。
コミュニケーションについて振り返るきっかけをもらった。


そして本日のメイン
山入端浩之先生の研修修了記念レクチャー
「後期研修4年間を振り返って」
ひとりの医師が、本人の努力と多くの人の支えによって、ひとりの家庭医へと成長してきた過程が語られた。
特に印象深かったのが、海外研修でオランダの家庭医に「君たちが羨ましい」と言われたという逸話
家庭医療後進国の日本から見れば、当然彼らが羨ましいわけだが、彼らから見れば、すでに確立された医療を継続・発展させるだけでなく、新しい医療の分野の開拓・創生ができることは、とてもエキサイティングでチャレンジングでアトラクティブなのだ。
後期研修を通して、この時代の日本で、家庭医を志すことの意義を充分に理解し、行動し、鍛練してきた彼は、当然のことながら、主任教授から本プレゼンをもってめでたく研修修了を認定された。

最後は、葛西教授による Cinemeducation 新時代(デジタルバージョン)
今日の教材の映画は「砂漠でサーモン・フィッシング(Salmon Fishing in the Yemen)」2011
自分は釣りはしないが、すこ~し釣り人の気持ちになった。
うまくいくかどうか?もしくはその確率がどうか?などに関係なく、とにかく釣りを続ける。
ある信念をもって、、、
同じように、誰かがある新しい試みを始めようとするときに、その創始者が経験することは、釣り人が体験する物語に類似しているかもしれない。
魚の心を想像しながら根気強く釣りを続けるように、周囲の支持者や抵抗勢力 双方のコンテクストに配慮しながら慎重に事をすすめなければ、うまく前に進めない。
そして何よりも、あきらめずに釣り糸を垂らし続けなければ、決して新しいことを成し遂げることはあり得ない。
深いメッセージを受け取りながら、今年度のFaMReFも無事、全プログラム修了となった。

2014年3月14日金曜日

ニュースJAPAN報道にみる いわきの救急医療の現状

2014年3月6日・13日の2夜にわたり、いわきの救急医療が取り上げられた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00264716.html

一次救急では、眼科の先生ですら、訴訟を恐れぬ覚悟で、休日・夜間診療所での診療に参加する献身的な取り組みが紹介された。
近隣の市町村を含め、およそ50万人とも推察される広域医療圏で唯一の高度救命救急センター(いわき市立磐城共立病院)では、本来は三次救急対象外の軽症から中等症までの救急要請までもが殺到する激務の中、それでも最後の砦であるという自覚と使命のもと、崖っぷちで奮闘する先生方の姿が取りあげられた。
私ども、二次医療機関が不甲斐ないものだから、常日頃 磐城共立病院には本当にお世話になりっ放しで、まったく頭が上がらない。昨日の映像から、小山先生はじめ磐城共立病院の救命の先生方が リアルないわきの “ネ申” であることを今更ながら再認識した次第である。
で、そんな状況を生んでいる張本人の二次救急病院の医師を代表して、二次輪番病院の運営もギリギリのところまで来ているという事実を証言する役割をさせていただいた。

以上の報道は、どれも真実だと思う。
全ての医療圏で足りてない。
震災を機に急速に悪化した事態は、震災から3年を経過した今でも、真綿で首を絞めるように、緩やかながら着実に悪化の一途をたどっている。

この緊急事態を、医療の利用者に伝えること。医療の提供者に伝えることで、SOSを発信することが今回の短い編集で出来たことかもしれない。
そのことで、救急車の適正利用につながったり、「いわきで頑張ってみよう」なんて、支援の輪が拡がれば、これほど嬉しいことはない。

しかし、私たちは現にここに生きているし、これからも生きていく。
どんな状況にあっても、自分の役割を忘れずに、笑顔で仕事をしていきたい。
決して諦めることなく、いわきの医療を魅力あるものに創生したい。
今回の編集では、いわきの救急の現場が、まるで地獄の沙汰のような取り上げられ方をされたが、私たちは、進んでこの地で医療をしているし、そのことに誇りと生き甲斐を感じている。
そのことだけは視聴者のみなさんに誤解のないよう祈っている。

ところで、取材には半日おつきあいしたのだが、放送はものの数秒。結局、変なおじさん度が濃い部分は全部カットされ、結果として パッと見 まっとうな医師っぽく映っていることが何よりも心残りである。

いつもより疾走

いつもより人が多い

いつもより目がマジ

いつもより医者が多い

「ここでニヤけるか?」 いつも通り変なおじさん (後ろの画像の恐ろしさに気づいたらスゴイ!)

2014年2月23日日曜日

女性の健康問題における家庭医の役割 第91回 Family Medicine Resident Forum @ Iwaki


今回は、ホストとして 講座のメンバーをいわきのかしま病院に迎えての開催となった。

テーマは「女性の健康問題」

かしま病院婦人科の鈴木庸介先生を、ゲスト講師・アドバイザーとしてお迎えして、私たち家庭医に役立つ、女性の急性腹症や更年期障害などの産婦人科の知識のおさらいや、ウィメンズ・ヘルスにおける家庭医の役割について考える機会となった。


レクチャー担当指導医の若山隆先生からは、ピルのメリットとリスク、そして処方に関する基礎知識・注意点が示された。

産婦人科医が極端に不足している当地で、私たち家庭医が社会貢献できるためには、やはり、正しい知識のもと、専門医の先生方のアドバイスをを得たり、緊密に連携・協力していくことが大事である。


レジデントからの振り返りでは、院内に産婦人科がある場合、家庭医はどのように関わっていけばよいか?という疑問から、女性のケアにおける家庭医の役割について掘り下げて考えた。
単に疾患に対する管理ができるというだけでなく、女性のライフステージを考慮したアプローチに努めることが大事だ。
婦人科検診の推進などの予防医療もそうだし、心理・社会的問題などへの介入においても、家庭医が役に立てる場面は多いということを再認識した。

Cinemeducation 「白い恋人たち(1968)」
今回は、ソチオリンピック期間中にちなんで、グルノーブル冬季オリンピックの記録映画を教材に、ディスカッションした。
題材が自由すぎて、個々の議論の内容も多彩であったが、多くの人が関わって、長い時間をかけて準備して、鍛え抜いた技を競い合う。そんな舞台は、表舞台に立つ側にも、裏方の人間にも、遠くの地でTVで観戦するだけの者にとっても、強く心に訴えかけてくるものがある。
東京オリンピックの誘致への賛否両論があり、どちらの言い分も分かる。
しかし、オリンピックには理屈のない感動があることだけは間違いないし、それが日本で行われるのであれば、日本人として最高のおもてなしで、世界中の人たちをお迎えしたいと思う。