2025年9月7日日曜日

胸に刺さる「19番目のカルテ」


 ドラマ『19番目のカルテ』最終話を見届けて

いやあ、ついに終わってしまいましたね。
『19番目のカルテ』、毎週ワクワクしながらテレビの前に正座していた方も多いのではないでしょうか。(私だけか…)

最終話、胸に刺さったシーンがありました。
他科の先生たちが、総合診療科の若手を支えてくれる場面。

更に…。

「優しさだけでは医療は成り立たない。だけど、優しさをなくしたら、私たちは医療をできなくなる」

「自分ではない誰かに、ほんのちょっとだけ優しくなる。それだけで充分!」

いやもう、ズルいですよね。
現場にいる私たち医師にとっても、患者さんや地域のみなさんにとっても、ずっしり響くフレーズです。

ドラマではイケメン、現実はフツー

ちなみに現実の総合診療医は…ええ、ドラマのようにイケメン揃いではありません。
(むしろ私なんかは、普通以下すぎて「え、先生もドラマ出てたんですか?」なんて聞かれると困ります。出てるわけない!)

ただ、私たちが日々奮闘しているのは本当です。患者さんの「この症状、何科に行けばいいの?」という迷いを受け止めること。生活や家族の背景ごと診ること。そして、ときに「全部まとめて診るのが、私たちの仕事です」と胸を張ること。

ドラマと現実のあいだで

ドラマの医療監修を務められたのは、実は私をこの世界に誘ってくださった師匠である生坂政臣先生。
私は偉大なその背中を追いかけてきた数多の人間の一人です。

ドラマを通して、総合診療という仕事が「かっこいい」だけでなく、「人間らしい」営みだと伝わったなら嬉しい限りです。

ドラマの中で描かれていたのは、総合診療医がただ病気を治すだけでなく、患者さんの人生や地域、そして若い医師たちの未来まで支えていく姿。

その一つひとつの場面が、かつて私自身が師匠に導かれた経験と重なって見えました。

ロケット花火だった若き日の私

2000年ごろの私は、まるで“ロケット花火”のような若手医師でした。

目を離すと、どこに飛んでいくか分からない。指導医の先生方はさぞ困ったことでしょう。

でも、生坂政臣先生という師匠は違いました。

「危なっかしいやつだ」と見限るのではなく、私の中にある燃料を見抜き、宇宙に飛んだ後に無事日本に帰って来られるように絶妙に舵をとってくださったんです。

今の私がここで地域医療に取り組んでいるのは、その師匠のおかげです。

良い総合診療医が、良い総合診療医を育てる

今日の最終回でも感じたのは、総合診療医は患者さんだけでなく、次の世代の医師を育てる存在でもあるということ。

“良い総合診療医が、良い総合診療医を育てる”――この循環こそが未来を支えるのです。

私もまた、受け取ったバトンを次の世代につないでいきたいと思います。


総合診療医は「なんでも屋」じゃない

総合診療医に対しては、こんな声を耳にします。

  • 「なんでも診れるわけないじゃないか」
  • 「誰でもできる仕事でしょ」

でも実際は違います。総合診療医は“全部自分で治す人”ではありません。

たとえるなら――

  • ラーメン屋さん、寿司屋さん、パン屋さんを全部知っていて、ぴったりの店に案内できる“町の食通”。
  • 壊れた電気製品を持ち込めば、とりあえず治すか、必要なら専門業者につないでくれる“町の電気屋さん”

そんな存在です。

病気だけでなく、生活や家族、地域の背景まで含めて“人まるごと”を診るのが、総合診療医の仕事です。


世界の常識、日本のこれから

実は世界では、総合診療や家庭医はプライマリケアの中心。これが当たり前であり、医療のグローバルスタンダードです。

でも日本では、まだ「よく分からない科」と思われがち。

だからこそ、このドラマで全国の多くの方に総合診療を知っていただけたのは、とても大きな一歩だと思います。

「こういう先生が近くにいたら安心だな」と思っていただけたなら、それだけで大成功です。

私は、かつてのロケット花火時代を支えてくださった師匠のように、これからも地域で、患者さんやご家族の“なんでも相談所”でありたいと思います。


困ったときに「とりあえず相談してみよう」と思える医者。

そんな存在が、あなたの町の総合診療医です。

ドラマが終わっても、総合診療の物語はまだまだ続きます。

どうぞこれからも、身近に感じていただけたら嬉しいです。


優しさと医療

最終話の台詞にあったように、医療に必要なのは技術や知識だけではありません。
もちろん優しさだけで病気は治せません。でも、優しさを失った瞬間、医療はただの作業になってしまいます。
それは医師にとっても、患者さんにとっても、あまりに不幸なこと。

ですから私たちは今日も、診療の現場でちょっとした おやじギャグも交えつつ、優しさを手放さないようにしています。


テレビの中の物語は今夜で幕を閉じました。
でも、いわき市や地域のみなさんの「19番目のカルテ」は、これからも続いていきます。

ドラマをきっかけに、総合診療科を「ちょっと気になる存在」と思っていただけたら、それだけで私たちの励みになります。

(フツー顔に満たない感じの総合診療医より)

2025年9月6日土曜日

絵本風に語る『19番目のカルテ』入門

ドラマに出てくる先生は、かっこよくてキラキラ。

でもほんとうの先生は……うーん、ダサダサで びみょ~。
それでもね、こころはピカピカなんです。

そうごうしんりょういのしごとは――
「いたいところ」だけじゃなく、
くらしや しゅうかん、こころのもやもやまで まるごと見ます。

あるひ、「かたがいたい」ときたおじいちゃん。
よくよくきいてみたら……じつは しんぞうが「たすけて!」のサインでした。
びっくり!でも、これが まいにちのふしぎ。

くすりだけじゃなく、
「おさんぽ 15ぷん」や「しおひかえめカレー」だって しょほうします。
(味は すこし もの足りないけど、こころはにっこり味)

「19ばんめのカルテ」の“19”は、
にほんで19ばんめにできた しんりょうか、というしるし。
まだあたらしいけれど、
「ここにいけば なんとかなる」――
そんな おまもりのような そんざいでありたいのです。

からだやこころや その他の困りごとで まよったら――

「まずは そうごうしんりょうかへ」

きょうも だれかの 19ばんめのカルテが、
しずかに、でもしっかりと ひらかれていますよ!

2025年8月15日金曜日

80回目の終戦の日に寄せて

終戦から80年。

戦時下の医療は、今の私たちの想像を超える世界だったでしょう。

薬は乏しく、包帯や消毒薬も不足。注射針は煮沸して繰り返し使い、野草を煎じて薬代わりに——。

そんな中でも、医師や看護婦(当時の呼称)は知恵と工夫で命をつないだという話を伝え聞きます。

私は戦争を知りません。

それでも、東日本大震災やその後の台風による水害、そしてコロナ禍の現場で、「足りない中で何とかする」という感覚を少なからず経験しました。
断水の中での診察、寸断された交通網、届かない物資、マスクや消毒液の不足、手作りのフェイスシールドでしのいだ日々——。

どれも戦時中と比べれば恵まれてはいますが、「平時の当たり前」がいかに脆く、そして尊いかを、骨身に染みました。

平時の診療の現場は、ドラマのような派手さはありません。血圧の薬を忘れずに飲めているか確認したり、腰痛や咳の相談に耳を傾けたり、生活の不安に付き合ったり——これらはみな地味な積み重ねです。しかし、この日常の積み木が、非常時には地域を支える砦になります。

平時に築いた信頼や仕組みは、有事にその真価を発揮するということを強く感じました。

足りてる時ですらちゃんとできてないことが、足りない中で何とかできるわけがないのです。

終戦の日は、先人の努力と犠牲に深く感謝するとともに、私たちが次の世代へ何を渡すかを考える日でもあります。
私は、自分の足元から地域医療をより良くする努力を惜しまないつもりです。

……というわけで、非常時に備える前に、まずは自身の平時の健康管理として、酒を浴びるように吞むことは控え、浴びない程度にしたいと思います。

2025年8月3日日曜日

「ぶっつけ本番」奇跡の優勝! ~いわきおどり小名浜大会~

かしま病院、奇跡の頂点! 

〜一夜漬けダンス軍団、60余チームを制す!〜

202581日、いわき市小名浜港一帯は熱気と人波に包まれました。

「いわきおどり小名浜大会」

精鋭60余チームが優勝を狙う中、誰も予想しなかった快挙が起きました。

――そう、我ら かしま病院チーム が、優勝してしまったのであります。

■ 事前練習時間:わずか数分程度

本番前の練習は、忙しい病院業務の合間に、集まれるメンバーだけ一回だけステップの確認の数分ぽっきり。

全員が揃ったのは本番のみという まさに「ぶっつけ本番!」

踊りの完成度は…まあ、正直、微妙。

優勝なんて「夢のまた夢」――いや、「ゆめゆめ想像すらしない」ほどの遠い存在だった。

■ しかし、踊り始めたら

「おや? なんかいい感じ?」

踊りの上手さよりも、みんなの笑顔と元気が場を支配し始めます。

見ている観客が思わず笑顔になるパワー。

これぞまさに、かしま病院の真骨頂――多職種団結力の結晶でした。

 

■ 秘策:「本部前だけ全力作戦」

「せめて審査員のいる本部前だけは、全力で狂喜乱舞しよう!」

あとは流す…ではなく、楽しむ。

手前みそながら、学生時代、一夜漬けを極めた わたくし発案の姑息な「ここぞ瞬発力作戦」が見事に的中してくれました。

 

■ 結果は――まさかの頂点!

かしま病院創立以来の珍事?

優勝発表の瞬間、誰もが「え、うそでしょ?」と顔を見合わせる。

と、言いたいところですが、上位入賞をまったく想定していなかったので、発表の瞬間、ダンスチームはすでに本拠地の病院へ撤収済み!

居残りの広報部隊の2人のみが表彰台に上がるという、ヒジョーに気まずい状況だったとのこと…。

この奇跡は、病院の仲間が一丸となり、

「どうせやるなら全力で楽しもう」という心意気が生んだ産物と言えるでしょう。

仕事も遊びもいつも全力投球な かしま病院職員気質を病院長としてとても誇りに思います。これは単なるお祭り優勝ではありません。

日々の診療やケアの現場での瞬発力と団結力が、このような形で結実したのだと思います。

■ かしま病院は今日も地域で踊り続ける

この勢いで、病院の団結力をさらに磨き、地域の皆さんにもっと元気を届けていきます。

医療と地域をつなぐ「踊れる医療チーム」に、これからもご期待ください!


#いとちプログラムできるまで

かしま病院は、基幹型で2026年度から「いとち総合診療研修プログラム」(通称:いとちプログラム)を立ち上げます。「い(医療)」と「ち(地域)」をつなぐ 新しい総合診療専門研修が始動します。

いとちプロジェクト|note

2025年7月20日日曜日

「19番目のカルテ」と かしま病院総合診療科の物語

画像はイメージです

総合診療科を描く「19番目のカルテ」

昨週から始まったドラマ『19番目のカルテ』、みなさんご覧になりましたか?

総合診療医を主人公に据えたこのドラマ、私にとってはちょっと特別な作品です。というのも、私が「家庭医療」「総合診療」を学び始めたころの師匠が、このドラマの医療監修をされているからです。師匠は、この仕事を受けるにあたり「総合診療医がもっと世の中に知られて、たくさんの人を救えると信じている。医療界が少しずつより良くなるためなら、いくらでも協力する」と語ったとのことで、その信念が作品の温かさやリアリティに息づいているように感じました。

師匠の医療面接は、患者さんの発する言葉や表情やしぐさのすべてから得られる情報を的確に捉えて評価し、医師からのそれとない追加の質問の一言一句に重要な意味があり、その卓越した推察力・洞察力に感銘を受けるものでした。そして何よりも「一期一会の患者さん」を手ぶら(分からない)では帰さない情熱に驚愕したことは、いまでも忘れられません。
そんな先生が関わったドラマを見ていると、細部にこだわった医師と患者のやり取りの演出などから、当時の記憶が次々と甦ってきます。

総合診療科なんて、いわきでやっていけるの?

私が かしま病院に来たのは2002年のことでした。まだ「総合診療」なんて言葉は一般には浸透していなくて、正直、私自身も手探りの連続でした。

「内科?外科?結局どっちなの?」
「専門は何?専門がないってこと?」
「何でも診るって、そんな都合のいい話あるの?」

そんな質問を受けながら、それでも「患者さんの全体を診る医師がこの街には必要なんだ」と信じて、少しずつ診療を続けました。

ある時、どの科にかかればいいのか分からず困っていた高齢の女性が、「先生、どんなことでも相談していいのね」と安堵の表情を浮かべてくれたことがありました。その笑顔に背中を押されるようにして、「よし、この街に総合診療を根付かせよう」と覚悟を決めたものです。

何でも治せる医師はいないけれど、何でも相談にのって、解決の糸口を見出せるように、みんなで一緒に知恵を出し合うためのマネジメントはできるはず!

総合診療は、病院の外にも続く

総合診療医の仕事は、病院の中だけでは完結しません。退院後の生活や、家庭、地域全体まで視野に入れる必要があります。訪問診療や多職種カンファレンス、時には行政や福祉とも連携しながら、患者さん一人ひとりに合わせた医療を届ける…。

画像はイメージです

最近では、若手医師たちが「地域に溶け込みながら総合診療をやりたい」と言って、かしま病院に学びに来てくれるようになりました。彼らと一緒に診療する中で、「患者をまるごと診る、地域をまるごと診る」という文化が少しずつ定着しつつあることを感じています。

恩師の背中と、ドラマのリアル

『19番目のカルテ』を見ながら、若い頃に師匠から受けた指導を思い出します。
患者さんの言葉に耳を澄ませ、その人の背景を想像し、その人がより良く生きるため、生活を支えるために奔走する――。そんな総合診療医の姿がドラマの中にも確かに描かれていて、胸が熱くなりました。

いわきから広げたい総合診療の未来

総合診療医は、ドラマの中の徳重医師のように「どんな相談にも応えてくれるお医者さん」ですが、それ以上に「地域の人たちと一緒に暮らしを支える伴走者」だと私は思っています。

『19番目のカルテ』がきっかけで、「こんなお医者さんが近くにいたらいいな」と思ってくれる人が増えたら嬉しいです。そして、そんな総合診療医を目指す仲間がいわきの地にももっと増えていけば…それが私のささやかな願い、いや、大きな野望です(笑)。

#いとちプログラムできるまで

かしま病院は、基幹型で2026年度から「いとち総合診療研修プログラム」(通称:いとちプログラム)を立ち上げます。「い(医療)」と「ち(地域)」をつなぐ 新しい総合診療専門研修が始動します。

いとちプロジェクト|note

2025年4月1日火曜日

地域医療と半人的医療の実践



社団医療法人 養生会 かしま病院(福島県いわき市)は、創業以来掲げてきた基本理念「地域医療と全人的医療の実践」について、深刻な医療・介護職不足を考慮し「地域医療と半人的医療の実践」に下方修正することを発表した。
石井 敦 病院長は「苦渋の選択だったが、持続可能性を考慮すると当面の間は致し方ない。再び全人的医療の実践ができる器に復帰できるよう 法人をあげて全力前進するので、どうかご理解いただきたい」と、涙を浮かべ声を震わせた。

詳細はこちら→【公式発表内容】

2023年7月22日土曜日

「より良く生きる」を支援する ~令和5年度 第1回「在宅医療推進のための多職種研修会」~

 7月15日、令和5年度 第1回「在宅医療推進のための多職種研修会」が、いわき市地域医療課、いわき市医師会の協力のもと、コロナ禍以降初となるリアル(現地)&オンラインのハイブリッドで開催されました。

 リアルとオンラインで合計120名を超える方が参加し、これからピークを迎える超高齢社会&多死社会において、一人ひとりがその人らしい人生の最期を過ごすことができるようにするにはどうしたらよいか?本気で考え、本気で議論する、当日の猛暑に負けない熱い作戦会議が展開されました。

 研修のメインセッションは、患者さんの自宅での担当者会議を想定した「ロールプレイ」でした。慢性閉塞性肺疾患や認知症が進んでも住み慣れた自宅で暮らし続けたい本人と、独居の本人を案じ施設に入ってもらいたい家族。対立するそれぞれの想いに、参加者が6グループに分かれ、それぞれ多職種チームを組んで果敢に挑みました。基本設定のみでシナリオがないため、チームごとの議論展開や行きついた結論も様々でしたが、いずれのチームも仕事さながら(もしくはそれ以上に)真剣そのものでした。

 私は、ロールプレイに先立ち、人生の最終段階における意思決定に関する全体講義を担当しました。人生の最終段階の類似語に終末期がありますが、終末期は死を前提とした生命維持の限界を示す表現です。一方、人生の最終段階は最期までその人らしく生き抜くことを前提とした表現で、「より良く生きる」を支援する多職種の取り組みにおいてよく用いられるようになりました。参加者の皆さんには「死の話題に触れることをタブー視せず、人生の花道・クライマックスをどう飾るのかを、いつでもどこでも誰とでも、好きなように語ることができる土壌づくりをしていきましょう」というお話をしました。