2011年11月8日火曜日

ためらいつつ放射線のリスクと対峙するということ

放射線のリスクにどう対応するべきなのか?

一人の医師として、いや、家族を持つ一人の人間としても、ためらうばかりで未だ何の結論も出せていない、役立たずの自分の無力さを嘆いたりしていた。

この本を手にするまでは・・・
サマー・フォーラムにお招きした、岩田健太郎先生の新著書


知性によっては正否の決断が下せないときに、なお決断を下しうる知性とはどのようなものか?
──帯文・内田樹 氏──

この本は、ためらい続ける自分が、案外“まとも”かも知れないことを教えてくれる。
上の図のように、そもそも放射線のリスク(確率的影響)はゼロになり得ない性質をもっている。(ということになっている)

実は、日頃意識していなくても、
乗り物に乗ること、
乗り物が突っ込んでくるかもしれない街を歩くこと、
食べること、
息を吸うこと、
生き続けることで老いていくこと、
生きていくためにしているあらゆる行為は、それ自体、死んでしまうかもしれないというリスクを常に抱えている。

中には、個人の努力で相当のリスクを回避できるものから、個人の努力にかかわらず、こうむってしまうリスクまで様々だ。

航空機が墜落するリスクを許容できないのであれば、その利便性の恩恵を受けない代わりに、航空機に搭乗しなければ良いのだが、この世に航空機が存在する限り、頭上から航空機が落ちてくるリスクは回避できない。

同様に、原発事故のリスクを許容できないので、原発で発電した電力の使用を拒否したところで、この世に原発が存在する限り(実は原発がなくとも)、放射能汚染のリスクを回避することはできない。

たとえば、「航空機のような危険なものは存在してはいけない」という主張は、あまり聞かれないのに、「原発のような危険なものは存在してはいけない」という主張は活発に行われている。

この一見本質的には違わないと思われる2者間の違いとは何なのか?

それは危険の程度の違いなのではないか?
言い換えると、実際に自分に被害が及ぶ確率を、個々が直感的に見積もった結果、多くの人が後者の方が明らかに確率が高いと判断しているということだろう。
つまり、「多分大丈夫だろう」と思えることは、無意識のうちに許容している。

実際に原発事故が起こる前は、「原発のような危険なものは存在してはいけない」と考える人は、今よりずっと少なかっただろう。
しかし今や、多くの人にとって原発は、「多分大丈夫だろう」と思えるものではなくなっているということである。
事実私も、原発事故以降、「原発のような危険なものは存在してはいけない」と思うようになった1人である。

しかし、そもそも誰もが、この世に生まれてきた以上、この世からお別れする日が必ずおとずれる。
複雑に絡み合った数え切れないほどのリスクを積み重ねながら、みな死に向かって生きている。
自分の選んだ道は正しいのか?
悩み、ためらいながら…

もしもすべてのリスクを回避したいのであれば、何もしてはいけない。(生きることも死ぬことも…むしろ生まれてはいけない) というヘンテコなことになる。

にもかかわらず、一律に(被曝量は)「〇〇までなら大丈夫!」や「△△を超えると危険!」などといった議論をしているのだから、いくら専門家が集まって朝まで討論したところで、結論がでるはずもない。
放射線のリスクを高く見積もる専門家も、低く見積もる専門家も、安全と危険のボーダーラインをどこかに引こうとしているという点では、本質的に同じ作業をしているように見える。

しかし、そのボーダーラインは、個々が個別に抱える多くの事情を考慮し、ためらいながら引くべきものであって、誰かが他者に強制的に押し付けることが出来るほど絶対的に正しい答えなど存在し得ないと思う。

事実、我が家でも、“ためらいながら”いわきに住み続けるリスクを許容している。
つまり、「多分大丈夫だろう」という判断をしているわけである。

私たちは、それぞれがさまざまな条件下で日々を営んでいる。
みな価値観や人生観が異なるのにもかかわらず、その個別性を配慮せず、他の誰かが一律に出した結論に真理などあるはずがない。
「患者中心の医療③」疾患と病気の両方の経験を探るで述べたように、放射線による有害作用について、確率的影響を論じている以上、たとえ同じ環境下で過ごしていても、その体験は、一人ひとり「解釈」「期待」「感情」「影響」が異なっていて当然である。

まして、放射線の有害作用という 信頼性の高いデータが乏しい領域の命題であればなおのこと、
根拠が曖昧なまま発表せざるを得ない大雑把な暫定基準値(単なる目安)を、「守っていれば大丈夫」と過信することも、「こんな基準じゃ安心できない」と非難することも、大雑把な暫定基準値を決めるだけ決めて放射線被曝への不安を理解することもせずに「基準値をクリアしていれば安全です」と安心を強要することも、建設的な行動とは思えない。

大切なのは、誰もが、「ここまでなら多分大丈夫だろう」と個別に判断できて、その目標をクリアするための行動ができて、結果として安心に過ごせる環境を整えることだと思う。

例えば、「基準値をクリアしていて安全なのに売れないのは風評被害である」と嘆いたところで、基準値そのものへの信用が揺らいでいる現状のままでは、「基準値クリア=安全」として扱うことには相当の無理が生じる。

こういった徹底した情報開示への取り組みは、個々が安心して消費するための判断材料を提供するという意味で非常に重要なことであり、今後の活動の更なる充実を応援したい。

2011年11月6日日曜日

劇団か? ~郷ヶ丘小学校学習発表会~

昨日、お世話になっている郷ヶ丘小学校の学習発表会が行われた。
震災の影響で著しく制限された学習環境の中、子どもたちはきちんと成長しているだろうか?
良くも悪くも郷ヶ丘小学校の今を感じ取るべく、すべてのプログラムを興味深く拝見した。

うちの子らは当然かわいかったが、親バカはさておき、とにかく凄かった!
6年生の劇に関しては、もはやすでに素人の域を脱してしまっていた。

全体を通して強く感じたことは、

子どもたちはみな、支えてくれるすべての人びとへの感謝の気持ちを胸に、必死に力強く生きている・・・

苦難の年、しかし諦めることなく根気強く御指導してくださっている先生方、辛い環境の中でも逞しく育っている子どもたちのことを思うと、溢れる涙を堪えることはできなかった。

素敵な校歌の詞のとおり
「このおかのうえ このがっこうは、みんなのちからでそだってく」
ことを確信するとともに、親としても、子どもに負けないように頑張る勇気をもらった気がした。
郷ヶ丘小学校の今は「みらいにむかってとんでいる」
その旅路を全力で支え見守っていきたい。


郷ヶ丘小学校校歌

作詞:谷川俊太郎
作曲:湯浅譲二

1 かんがえるのっておもしろい
  どこかとおくへいくみたい
  しらないけしきがみえてきて
  そらのあおさがふかくなる
  このおかのうえこのきょうしつは
  みらいにむかってとんでいる

2 なかよくするってふしぎだね
  けんかするのもいいみたい
  しらないきもちがかくれてて
  まえよりもっとすきになる
  このおかのうえこのがっこうは
  みんなのちからでそだってく

JASRAC No.:E0802221857


刺激をうけた、うちの子といとこらが、巧みな能力を披露してくれた。
おじさんも力強く生きて行こう!
こんな日は、こいつが呑みたくなる。

2011年11月4日金曜日

ゆる体操 in 仮設住宅

仮設住宅の集会所では、様々な出会いがある。
顔なじみになるにつれて、さまざまな身体症状を相談してもらえるようになった。
その多くの方々が、長期的かつ変化に富んだ健康リスクにさらされていることを実感する。
その状況に対応するため、単発的またはその場限りの支援にならないよう配慮する時に、やはり“ゆる体操”は強力な武器である。
“ゆる体操”は、植えた種が実を結ぶというか、自ら継続的な健康を獲得していく、つまり自立を促すという意味でとても良いと思う。

薬も注射も持たず手ぶらで挑む訪問。
なんの道具も要らない“ゆる体操”は本当に役に立つ。

今日は、日頃 真面目に“ゆる体操”を実践してくださっている方から、「楽に立ち上がれるようになった」という具体的な成果の報告をいただき とても嬉しかった。

誰でも簡単に実践でき、長期的な効果も期待できる“ゆる体操”をもっともっと普及させて、自分も含む多くの方々の「健康」「機能改善」「美と若さ」につなげたい。

2011年11月2日水曜日

第9回 FACE (Fukushima Advanced Course by Experts) in 磐梯熱海のご案内

第9回 福島アドバンスド・コース:FACE (Fukushima Advanced Course by Experts)
⇒チラシ(お申込み詳細)はこちら

日程:2011年11月19日(土)~20日(日)
会場:緑風苑(福島県郡山市熱海町) 温泉も楽しめます。
対象:医学部生、研修医、一般医師 (定員30名)
参加費:6,000円(学生:4,000円) 宿泊費・食費の実費

筑波大学附属病院水戸地域医療教育センターの徳田安春先生をお迎えして開催します。
今回のテーマは、“実践的な身体所見の取り方・考え方”です。
紅葉を見ながら温泉につかり、全国から集う仲間とともに研鑽しましょう!!

<プログラム>
11月19日
12:30~ 受付
13:00~ 「身体所見ワークショップシリーズ」
      筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター
      総合診療科教授 徳田 安春 先生
17:00~ 「あっちゃんの考える診断学」
      福島県立医科大学 地域・家庭医療学講座
      石井 敦
18:00~ 夕食・温泉
21:00~ 「第18回 福島感染症勉強会」

11月20日
08:30~ 「直腸診」
      太田西ノ内病院 総合診療科
      成田 雅 先生
10:30~ 「眼底鏡・耳鏡実習」
      福島県立医科大学 耳鼻咽喉科学講座
       医療人育成・支援センター 野本 美香 先生
      福島県立医科大学 眼科学講座
       医療人育成・支援センター 小島 彰 先生
12:30~ 昼食
13:30~ 整形外科的診察法「診察のコツを教えます!!」
      福島県立医科大学 整形外科学講座
       医療人育成・支援センター 大谷 晃司 先生
15:15~ 閉会

主催:福島県臨床研修病院ネットワーク連絡会議 ◆ 医療人育成・支援センター
後援:財団法人太田綜合病院 ◆ ウェルチ・アレン・ジャパン株式会社

2011年10月31日月曜日

自宅での大宴会 ~人生最後の望み~

江名・中之作・永崎地域のファッションリーダー的な存在だった格好イイおじさんが、昨日、天国へ旅立った。

彼のご自宅は、もろにオーシャンビューな永崎海岸沿いにあり、無論 今回の津波で甚大な被害を受けた。
ご本人もペットの亀さんも波に襲われながら助かったとのこと…
近隣は更地になっているところも多く、建物が持ちこたえたのが不思議な状況である。
当初、近隣の方々が、惨状を目の当たりにして途方に暮れていた時、彼は真っ先に自宅の復旧に努め、周囲を勇気付けたという。

そんな彼に進行した癌が見つかったのは今年6月のこと。
けれど、彼は癌が発覚した後も、ずっとダンディーで格好良く、最後まで欠かすことがなかった独特の憎まれ口が僕は好きだった。

終末期に入り、老老介護のため、入院で疼痛管理などの緩和医療を行なっていたが、最近では意識状態も不安定になっていた。
何度か「何かなさりたいことは?」と問いかけても、なかなか明確な回答をくれなかったのだが…

「自宅で大宴会を開いて、みんなに御馳走したい」

最後の願いだった。

急遽、在宅酸素とポータブル吸引器、介護タクシーを手配し、医師同伴で自宅への外出作戦を決行したのが昨日のこと…
外出中の大半はグッスリと穏やかにお休みになっていたが、会が盛り上がると、震災時に九死に一生を得た愛亀を嬉しそうに抱き、ご自身も焼酎を一口二口と味わい、ご満悦の様子だった。
もう5年以上の付き合いになり、彼のことは随分知っているつもりだったけれど、宴会には僕が知らない数え切れない人々が訪問した。
各々が彼を気遣い、感謝の言葉を伝え、涙している姿を見るにつけ、彼が必死に復旧させ、命懸けで帰りたかった家と、人間の大きさを見せつけられた気がした。
日頃、患者さんの背景にある家族や地域を意識し理解するように励んでいるつもりであっても、やはり百聞は一見に如かずということを痛感した。
彼のご冥福と、ご家族のご健康を こころよりお祈り申し上げる。

2011年10月28日金曜日

見せたい! いわき医師団の底力

日々の新聞 (2009年4月15日) 地域医療のあり方
開業医が心開いて協力体制をつくる
http://www.hibinoshinbun.com/files/iryou/147/i_147_01.html

<以下抜粋>
勤務医不足による地域医療の崩壊が叫ばれている。その根本的な原因は何なのか。
~中略~
自分の患者については責任を持ち、午後は必ず、五、六軒は往診をしていた。そして、そこには必ず家族がいた。夜も何かあると診察し、急を要する場合は、無理がきく病院に連絡して救急車に同乗した。  しかしいま、そうした開業医が少ないように思う。開業医としての意識がおざなりになっているような気がしてならない。地域医療崩壊の原因はそこにある。開業医1人ひとりが意識改革を図らなければならない。
~中略~
開業医同士が心を開いて、地域医療をどう改善していくか話し合うべきではないか。個人個人バラバラ、ともいえる開業医それぞれが殻を破って協力し、医師会がまとめ役になって、生命や命の尊厳にかかわる医療の問題と取り組む必要がある。





古い記事ではあるけれど、尊敬する大先輩のコラムから、今のいわきの地域医療に必要なものを知ることができる。
現状を鑑みると、「ドキッ!」 とするぐらい鋭く切り裂く御指摘の数々・・・
重く受け止めたい。

震災の急性期。

いわき市内の医師の多くは確かにバラバラに行動していた。
そのことが円滑な地域医療の提供を困難にしたことを、
その時は痛感したはずなのに

診療体制が復旧した今となっては、喉元過ぎれば何とやらで、驚くほど何事もなかったかのように以前と同じ体制のまま日々の診療が行われているように感じられる。

時間外診療事情が、震災以前にも増して過酷になったことを除いては・・・

「手遅れになる前に何とかしなければ」という焦る気持ちと、「やるしかない」という覚悟というか開き直りが、今の自分の感情に混在している。

2011年10月27日木曜日

相棒が100000km達成! 福島県が広すぎるのよね

昨日(2011年10月26日)、職場に到着する直前の画像。
愛車が大台に乗る瞬間。

この車に本格的に乗り始めたのは、広大な福島県内を頻繁に行き来する現在の勤務形態になった3年7ヶ月前からである。
短い期間に随分と長い距離をお伴してくれたものだ。
車検を終えたばかりでまだまだ元気なこの相棒には、もうしばらく活躍してもらいたい。