2013年7月25日木曜日

映画「風立ちぬ」に学ぶプライマリ・ケアの構築 ~誇りを持って後進すること~ 


わたくし、病的に涙もろいので、たいがい見苦しい状況になるので、夜中にこっそり一人で観てまいりました。
そもそも、自分からすすんで映画館に行くということはほとんどないのに、なぜそうなったのかは、未だにわからない。
かねてから観たいと思っていたわけでもないし、そもそも何の映画かもほとんど知らないのに、自然に足を運んでいた。
結果、やはり自分が足を運んだことには、意味があったのだと感じた。
不思議なことに・・・


先進国でありながら、各国と比して何十年も立ち遅れていると揶揄される日本のプライマリ・ケアのシステム。
先進国で唯一、家庭医療の後進国ワースト6(日本、ネパール、ベトナム、スリランカ、ブラジル、ジンバブエ)に名を連ねちゃったりして・・・

しかしながら、日本には日本なりに発展した、世界に誇れるものがあって・・・
例えば、国民皆保険のように国民すべてが安心して医療を受けることができるシステムや、「医は仁術」という平安時代にまでさかのぼる利益をど返しした伝統的な献身的博愛の精神など、その特長を活かすことができれば、日本でしか提供できないような、他のどの国よりもクールな地域医療を構築できるのではないかと思うことができた。
世界中が驚くような、日本ならではの家庭医療を創ってやろうじゃないの!
数十年の時の差を、一足飛びに縮めてゆくアキレスのように・・・

そして、そんな私の少年のような夢を理解・共有し、支え、後押しし、僕らの残した足跡、飛んだ奇跡、ひこうき雲を 誇らしげに追い求めてくれる最愛の家族がいるということが、何よりもかけがえなく、ありがたいことであることを再確認できる時間を持てたことに感謝し、自身や最愛の家族の生死と向き合うとき、終末期を過ごすとき、何を最も重視して時を過ごすのだろうか?想像しながら・・・

堀越さんみたいに多彩な夢をみたいなぁ~



ところで、映画を観て、私見をしたためてみたわけだが、
当講座では、伝統的にそんな行動を医学教育に活用している。

その教育手法とはズバリCinemeducation

Cinemeducation とは、映画やテレビ番組の一部を用いた医学教育方法で、Cinema+medical+educationを合わせた造語である。
Alexanderにより1994年に提唱されが、私が知る限り、日本で最もこのCinemeducationに入れ込んでいるのは当講座の葛西教授だと思う。

映画の一部のクリップを観て感じたことを言語化すること、他の人が言語化したことを聴くことで自分にはない視点を知ること。
これは、診療所を訪れる患者さんの日常生活全体のごく一部にあたる診察室での言動から、患者さんがどのように辛いのかを深く理解することを求められる、我々家庭医の日常診療に通じるところが多い。

2013年7月24日水曜日

睡眠2時間でも、今日中に書き留めておきたいこと

このままでは決して良くないのだ
このままでは全部共倒れだ

けれど、真心から湧きいづる力を結集すれば
必ずや道は拓かれる

意味のない忙しさは要らない
意味のない忙しさを容認する余裕もない

まして、私利私欲のために
多忙でいられるのであれば
それは、心理・社会的な疾病以外のなにものでもない

人のためになる忙しさなら
頑張れる!

生き甲斐のある苦労なら
生涯つづけられる・・・

人間とは、そういうものであると私は信じている

患者は会議室では診れない 現場の情熱を医療創生の力に!

元々福島の地域医療を何とかしたい。
そんな意思のある医学生や研修医が実はたくさんいることを私は知っている。
そして、彼らの現在の地域医療への問題意識はかなり高く、医療人としての情熱は並々ならぬものがある。

しかし、問題は、その情熱すら打ち砕きかねない今の過酷な環境。
つまり、頑張れば頑張るほど、その人への負担がどんどん重くのしかかって、
終いには燃え尽きてしまうような構造がある。

僕らには、その病魔をぶち壊し、熱意ある未来の医療人に、彼らが生涯使命感を持って働ける環境を残す義務がある。

いま、当院の常勤医の間では、当直業務や救急業務への需要が膨れ上がりすぎて「もう限界である」という声が噴出している。
実際、通常業務への悪影響も出てきている。
どんなに頑張りたくても限界がある。
個々の努力への依存を続ける限り、事態は日に日に悪化する一方・・・

当院も含めて現在いわき市の2次輪番病院陣の機能は絶望的にpoorである。
結果、3次医療を担う磐城共立病院に必要以上の負担を強いてしまっている現状が心苦しくてならないし、
それでも歯を食いしばって、いわきの最後の砦を守ってくださっていることに感謝している。

2次輪番の各病院には、それぞれそうなってしまっている事情があるのだろうし、その状況を互いに認め合い、現状を認識することから改善が始まるのだと思う。

ところが、お世辞にもやれているとは思えない病院のトップの先生に、病院間の会議などで「うちはやってる」という旨の発言をされてしまうと、私は失望と憤りを禁じ得ない。

現場を知らない方の理想論はもう要らない。
もっともっと実際の現場を支えている人間の意見を吸い上げていかないと、いつまでたっても変われないのではないか?と不安になり途方にくれてしまう。

患者は会議室では診れない。 現場の情熱を医療創生の力に!

容赦ない広域搬送

広大な面積を有するいわき市。
市内の基幹病院に急患を集中させず、効率の良い医療を提供するためには・・・

①近隣地域の軽症を担当する医療機関
②やや広域ながら中等症までの入院を担当する医療機関(二次輪番病院)
③重症患者に絞って全域から引き受ける基幹病院

これらの役割分担が不可欠である。
しかし、最近の救急要請の内容を鑑みるに、この分業が破たんしていることを実感せずにはいられない。
特に強く感じるのは、①からすでに崩壊しているということ。
①が機能していれば、②、③の担当医療機関も充分に機能を発揮できるはずなのだが、
軽症であっても近隣で受け入れ先が見つからない状況下では、①+②がまとめて市内+近隣自治体の全域から長距離搬送を要する事態になる。
当然、②までで受け止められずに、比較的軽症も③に溢れだし、①~③すべてが共倒れになっている。

事実、この時間帯(深夜)に、遠方からの軽症の救急車を、同時に2台、今宵 輪番でもない郊外の弱小病院でお受けしなければいけない状況であり、これはどう考えても異常・・・

これでは患者さんも救急隊も可哀想すぎる!

いわき市で地域単位のプライマリ・ケアを、オールいわきで必死に構築しなければならない時が、まさに今この時である。

2013年7月23日火曜日

「ゆる体操」体験会 ~院内リレー学習会~

院内リレー学習会
「ゆる体操」体験会!
今日は頭を使わず体をほぐして能力アップを目指します。

ゆる体操の詳細⇒ http://atsushii.blogspot.jp/2011/06/in.html

当院には私も含め、14名のゆる体操指導員有資格者がいて、この数は一企業としては世界一らしい。
この調子で世界一ゆるい病院を目指していきたいところだ。

毎月第3金曜日17時30分~ と 18時30分~ の2回
かしま病院のコミュニティーホールで無料のゆる体操教室を実施しています。

(8月はお休み)

2013年7月21日日曜日

最良の証拠を良心的、公明にかつ思慮深く用いること ~第84回FaMReF~

2013年7月21日の講座月例のFaMReFのテーマはズバリ「EBM」
氾濫する情報を、いかに有効に活用するか?
多忙な診療の合間に、素朴な臨床上の疑問をどう解決するか?
そもそも、その情報は入手するために時間と労力を費やす価値があるのだろうか?
あれも、これも、EBMだよね~ etc.
様々なディスカッションをすすめながら、今までより少しだけEBMを身近に感じられるようになった。


とかく、エビデンス=EBM という誤解に惑わされるこの分野で、
あるエビデンスを個別の患者にどう適用するのか?
その部分へのアドバイスが指導医にとって重要な役割なんだなぁ~ と再認識した。



「生命の尊厳」医師としてのルーツ ~聖マリアンンナ医大同門会 福島県支部~

『生命の尊厳を基調に、キリスト教的人類愛に根ざした「生命の尊厳」を基調とする医師としての使命感を自覚し、人類社会に奉仕し得る人間の育成、ならびに専門的研究の成果を人類の福祉に活かしていく医師の養成』

というのが、我が母校「聖マリアンナ医科大学」の建学の精神。

その大学は輩出した医師たちの実態は「おばかだけどハートフル」といった感じだろうか?

ここでいう「おばか」とは、単に学力の高低を言っているのではなく、本気で愛と使命感に溢れた「おばかさん」になりきれるというポジティブな意味である。

そんな集団が一堂に会すると、とても独特な雰囲気でアグレッシブな状況になる。


どんなにベテランになっても、医学の道の学びに終着点はない。
時に、限界を感じることもあるけれど、この「生命の尊厳」と「生命への畏敬の念」は、いつまでも、どんな時でも精神的拠り所として存在し、私たちを支え続けていく・・・

昨夜はそんなことを考える貴重な時間であった。