終戦から80年。
戦時下の医療は、今の私たちの想像を超える世界だったでしょう。
薬は乏しく、包帯や消毒薬も不足。注射針は煮沸して繰り返し使い、野草を煎じて薬代わりに——。
そんな中でも、医師や看護婦(当時の呼称)は知恵と工夫で命をつないだという話を伝え聞きます。
私は戦争を知りません。
それでも、東日本大震災やその後の台風による水害、そしてコロナ禍の現場で、「足りない中で何とかする」という感覚を少なからず経験しました。
断水の中での診察、寸断された交通網、届かない物資、マスクや消毒液の不足、手作りのフェイスシールドでしのいだ日々——。
どれも戦時中と比べれば恵まれてはいますが、「平時の当たり前」がいかに脆く、そして尊いかを、骨身に染みました。
平時の診療の現場は、ドラマのような派手さはありません。血圧の薬を忘れずに飲めているか確認したり、腰痛や咳の相談に耳を傾けたり、生活の不安に付き合ったり——これらはみな地味な積み重ねです。しかし、この日常の積み木が、非常時には地域を支える砦になります。
平時に築いた信頼や仕組みは、有事にその真価を発揮するということを強く感じました。
足りてる時ですらちゃんとできてないことが、足りない中で何とかできるわけがないのです。
終戦の日は、先人の努力と犠牲に深く感謝するとともに、私たちが次の世代へ何を渡すかを考える日でもあります。
私は、自分の足元から地域医療をより良くする努力を惜しまないつもりです。
……というわけで、非常時に備える前に、まずは自身の平時の健康管理として、酒を浴びるように吞むことは控え、浴びない程度にしたいと思います。
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