2012年1月15日 国宝 白水阿弥陀堂
私たちはこの1年間、
喜怒哀楽はもとより、
悔しさ、歯がゆさ、恐れ、諦め、驚き…
あらゆる種類の感情に支配されつつも、
結局はどうしたらよいのか分からない毎日を送ってきた。
しかし、いつまでも途方に暮れ続けているわけにはいかない。
私たちの経験をこのまま忘却の彼方に葬るわけにもいかない。
震災の記憶が薄れゆく前に、震災を経験した私たちがこれからの新しい時代を切り拓いていくために必要なものは何か?
無い知恵を絞り考えてみた。
2011.3.11
あの瞬間から、あたり前の毎日が消えた…
と同時に、私たちはそのあたり前の日々が、どれだけ贅沢で有り難いことであったかを思い知った。
しかし、そのことを知らずに平平凡凡と過ごしていたそれまでの日々が本当に幸福であったのか?
人として正しい道を歩んでいたと言えるのか?
この一年間、私は自問自答してきた。
その問いに対する現時点での自分なりの答えは、やはりNOと言わざるを得ない。
私は、一方的に伝えられる原子力発電の安全神話を根拠なく鵜呑みにしてきたことを深く反省した。
次世代を担う子供たちに負の遺産を残してしまうことは、どれだけ悔やんでも悔やみきれない。
また、これまで電力の利用者として原発の恩恵を受け続けてきた以上、今回の事故の責任の一端は自分にもあり、それまでの生活は過ちの上に築かれた偽りの幸福であったと感じている。
いま、私たちは震災前よりもずっと制限された生活をしている。
外部の方から「お気の毒に」と気遣われることもしばしばである。
しかし、現在の私たちは、偽りの覆面を剥ぎ取った真実の中に身を置いている。
真実の中で生き抜くことを運命づけられているのかもしれない。
私は元来涙脆いが、震災を機に更に涙脆くなった代わりに、前よりもよほど肝が据わり、忍耐強くなれた気がする。
元々警戒心の強い妻は、更に警戒心を高めたばかりではなく、深い愛情と冷静さをたずさえてくれた。
そして、とても怖がりな三人の子供たちも、家族や他人を気遣い、日々を大切に生き、自分に出来ることを自ら考え、優しさを示してくれる。
周りに目を向けると、他人のために献身的に活動している人が非常に多いことに驚かされる。
これら一つひとつの事象から人間本来の強い生命力と絆を感じることが出来るのだ。
誤解を恐れずに述べるならば、
今のいわきに生きることは、私に不思議な心地良ささえ与えてくれる。
厳しい現実に直面した私たちは今、善くも悪くもこの真の現実に正面から立ち向かい、
真の幸福を掴み取る権利を与えられているのかもしれない。
このままいわきに住み続けてもいいのか?
そんな葛藤の末、いわきで生き抜くことを決断した私たちだからこそ切り拓くことができる未来が必ずあるはずだ。
真実の世界に身を投じることで獲得した数多くの知恵を共有し、
子供も大人も力を合わせ、
震災前よりも遥かに幸福を実感できる社会を創り上げていきたいと切に願っている。
私がこのような覚悟を固めるまでの過程は決して平坦なものではなかった。
むしろ私にとってこの1年間は、
1人の父親としても、
医師という職業人としても、
不確実性に耐える紆余曲折の日々だった。
「このままいわきに住み続けても大丈夫ですか?」
と仕事柄多くの方からご相談を受けたが、
私の解答はいつも
「多分大丈夫」
という、至極曖昧で無責任なものだった。
これは私がヤブ医者だからという理由以外に、
低線量放射線被曝による健康被害に関して信頼に値する質の高い先行研究が存在しなかったことが挙げられる。
その結果、各専門家間でも意見が分かれ、広く社会に混乱を招いた。
この問題に関しては、科学としての医学知識が殆ど無力だった。
その結果、被曝許容量にしても、除染目標にしても、未だ明確な基準が設けられず、
実際にいかに行動するかは、結局は個々の判断に委ねられる状況が続いている。
震災を経験した私たちがこれからの新しい時代を切り拓いていくために必要なもの
それは…
真実の中で生き抜くこと。
それは時に悲しみや怒りをもたらすだろう。
けれどそれ自体、支えてくださった方々のご恩や、様々な事情からいわきで暮らし続けることを断念せざるを得なかった人たちの無念に報い、
震災を経験した私たちが本当に幸せな世界を切り拓いていく強さを身につけるために必要なものであると信じている。