2013年12月14日土曜日

家族志向ケア ~第89回 FaMReF@保原&2013講座忘年会~


家族志向ケア ~第89 FaMReF@保原&講座忘年会~
相変わらずいわきの天気は爽やか。
しかし、今日は北福島での講座定例の勉強会&忘年会。
午後の中通りは雪の予報。
向かう道の途中、阿武隈高原では少し吹雪いていた。
県内大移動するたびに、福島県内各地の風土の違いを痛感する。

今回のテーマは「家族志向ケア」
家族カンファレンス自体が成立しないような難しい状況で、家庭医はどうかかわっていけるのか?
レジデントの診療経験の振り返りをもとに、家族志向ケアについて深く議論した。
高齢者総合評価の上、患者さんの家族・背景を深く理解し、患者さんや家族のニーズを認識し、埋もれている家族の機能を開拓し、家族をもケアの対象に加え、あらゆる医療・福祉資源を活用していかなければ、生活が成り立たないような状況下におかれているケースが、最近の自身の診療上も多いように感じている。
問題点を整理して、その解決方法を見出すべく知恵をしぼり行動していくことは、僕らにとって大変やりがいのあるエキサイティングな仕事である。
普段、県内各地に散らばって仕事をしている講座員が、定期的に一堂に会してアイディアを出し合うことは、新たな発想のひらめきと発展のきっかけつくりに有用である。




本日のメインレクチャーの講師は望月亮先生。
ファミリーライフサイクルに則った家族の絆の体感コーナーを通して、要員と相互作用を持った家族システムについて楽しく学んだ!
みんながそれぞれ好き勝手に動くと絆が切れてしまう。
しかし、絆の歴史を考慮して、家族システムの再構築が出来れば、あらゆる場面での家族志向ケアに役立ちそうだ!



2013年11月28日木曜日

復興まちづくり講演会 ~陸前高田市・なつかしい未来創造株式会社の挑戦~

今日は、福島県復興まちづくりエキスパート派遣事業として、超高齢未来を考える取り組みをしている福島県いわき市鹿島地域に、陸前高田市で「なつかしい未来創造株式会社」を設立し、ご活躍中の 田村滿 先生をお招きしてご講演を拝聴した。


お話を聴いて、どんな過酷な境遇にさらされようとも、利他的にふるまうことができる文化と資質を備えた日本、日本人に生まれ育ったことへの誇りと感謝の気持ちを新たにした。

そして、壊滅的な被害を受けた陸前高田市においても、その状況に適応し、柔軟な発想と想像力でより良いまちづくりをしていこうという取り組みを紹介していただき、深い共感を覚えるとともに、今いわきで生きる私たちだからこそ発信できることを、もっともっと発信していきたいと強く思った。

私は医療というものを、疾病をかかえた緊急時だけ利用する特別な存在としてとらえて欲しくない。
お寺が、誰かが亡くなられた時に故人を成仏させてもらうためだけに存在する場所ではなく、時に近所の子供たちがかくれんぼや鬼ごっこをなどをやりにくる場所であるように・・・

超高齢社会では、医療はもはや生活の一部になっていくであろう。
であるならば、いつどこにいても身近なところに医療が転がっている必要がある。
医療が生活の一部であるかのように、常に我々の生活を見守ってくれる存在として・・・

「医-職-住」一体となった改革・整備・創生。そしてその実績を全世界に発信していくことこそが、今ここに生きる私たちの使命である!

そうやって、人を思いやることができる子供たちを育み、争いや憎しみや怒りから解放された国家として世界をリードする日本を残したい。

2013年11月24日日曜日

家庭医として地域ケアに関わるということ ~第88回 FaMReF@喜多方市 地域・家庭医療センター~

月例の家庭医療レジデントフォーラム
本日のメインテーマは地域ケア
セッションの担当教官は高栁先生

データだけでは見えてこない、診療して初めて見えてくるもの、地域に住んで初めて理解できるニーズがある。
高栁先生のキーメッセージから、地域完結型の医療の提供が厳しい状況になっている いわきの地域ケアの構築に向けてのヒントをもらった気がする。
地域に住む家庭医としてできることを、想像力・発想力を高めながら見きわめて行動していきたい。

いつやるか? 今でしょ! by Hiroshi

昼食は喜多方ラーメンと並ぶ、会津のソウルフード、ソースカツ!


午後は家庭医療研修医らの振り返りから、医療機関を訪れない地域住民のケアをどうするか?
日常診療だけで多忙な中、予防医療・健康増進への介入について、実際に何ができるか?
みんなで意見を出し合った。
確かにみんな多忙な中、優先度と効率性を重視してできることから地道にやっていこうということになった。
私も実現可能な路線で、まずは近隣に目を向けてみようと思う。
かしま地区での試み「2030年 超高齢未来を考える会」などを良いきっかけにしていきたい。

2013年11月21日木曜日

非がん患者における終末期医療 ~家庭医療セミナーinいわき「実践家庭医塾」~

とかく がん患者の疼痛管理にスポットが集中しがちな緩和医療。
しかし、がん以外の原因で亡くなる方は、がんで亡くなる方よりもはるかに多い。
がんよりも予後の悪い、臨床的に悪性な病態を挙げればきりがない。
そういった方々に、いかに穏やかな終末期を過ごしていただき、静かにお看取りさせていただくことができるかが、これからの超高齢社会において不可避な多病・多死に対して、我々医療者に与えられた重大な課題である。

がんの終末期といえば、その後の大まかな転機はある程度予測がつく。
スピードの差こそあれ、少なくとも着実に進行し、やがて死を迎えることがほとんどだからだ。
状態によっては、積極的治療が延命につながらないであろうという判断もしやすい場合も多い。

一方、非がん患者さんはどうだろう?
もちろん、原因が多岐にわたるので一概にはいえないが、明らかにもう限界、いわゆる危篤と判断した患者さんが、翌日には普通に目を覚まして、普通にご飯を食べ始めたりすることもあり、終末期そのものの定義自体、あまりにも曖昧で、そこに求められる判断内容は非常に複雑で不確実性に満ち溢れた世界である。

今日の実践家庭医塾では、臨床研修医のT先生が、そんなモヤモヤした疑問に対する数少ない先行研究などを紹介しながら、非がん患者における終末期医療について問題提起し、その難しさについて示してくれた。

がんであれ非がんであれ、疼痛以外に出現する症状は多彩だ。
特に、呼吸困難・摂食困難は、いかなる終末期にも多くみられ、共通の課題となる。
苦しい原因は何か?食べらなくなったらどうするか?
置かれた環境、患者の想い、家族の状況…
マニュアルにこだわらず、個別に議論して、最善と思われる道を丁寧に探っていくこと。
そういった地道な努力こそが、より良い終末期医療の提供につながっていくだろう。
そして、最期の時をどこで過ごすべきか?という問いへの答えも、個々の状況で自ずと決まってくるだろう。もちろん、在宅だからよくて病院だから駄目だとは限らない。

難しい課題にぶつかった時、我々にとって患者中心の医療の方法がいかに優れた武器であるか再認識させられる。
ただし、これはあくまでも手段なので、結局は、ご本人が、家族や支える人々とともに、より良い終末期を過ごしていただけるよう、医学のプロとして知恵を絞りながら、ずっと寄り添っていく姿勢が大切なんだと思う。
以前にも記載したとおり、終末期というものは、漠然とした暗いイメージとは裏腹に、実はそれは人生の締めくくりであり、クライマックスであるわけで、ある意味 華やかに花道を飾りたい時期でもある。
個別のこだわりや希望・我がままを出来る限り叶えられるようサポートしていきたいと強く思う。

2013年10月30日水曜日

東京慈恵会医科大学付属病院 臨床研修(地域医療)2014年度説明会

今年度から研修施設の新規メンバーとして「かしま病院」を加えていただいている、東京慈恵会医科大学付属病院 臨床研修(地域医療)プログラム。
今年度は7名を受け入れ、すでに5名が研修を終えている。

研修医には、地域における家庭医の役割や、患者中心の医療の方法を実践しながら深く学んでもらい、その成果を実践家庭医塾などで発表してもらっている。

研修を終えた多くの研修医からは、ありがたい感想が寄せられていて、教育担当として、ますますやりがいを覚えている。

熱心な研修に心から感謝している。


さて、錦秋の候。
今日は「かしま病院」での地域医療研修プログラムを宣伝しに半日日帰りの強行軍で江戸にお邪魔した。

これだから田舎もんは困ると言われそうだが、そういえば特急に乗るの、一年前のこの会依頼かも…

大学が高いビルなのも不思議な感覚。
研修医も多い!

後輩研修医に向けて、すでにいわきでの地域医療研修を終えた先輩研修医が、他ではなく、福島県いわき市のかしま病院で研修するメリットについて、熱く強く伝えてくれた。


都心の大学病院で学ぶ51名の臨床研修医のみなさん。
来年度も、そのうち1人でも多くの研修医を受け入れて一緒に学びたい。
そして、今年度よりもさらに充実した地域医療研修を提供できるように、プログラムと教育体制を工夫していきたい。

いわきでの研修が、医療人としての生涯の財産になるように…

2013年10月24日木曜日

エピペン再来! ~歪んだ地域包括ケアの現状~

再び、市内の小学校からエピペンを用いたアナフィラキシー対策についての、教職員向けの講演依頼があったのでその準備をしている。
個人的には本望な話であるし、お話をいただけるのは光栄であるのだが、今回は、決して「近くの学校」ではないだけに、私のところまでお話がたどり着いた経緯には腑に落ちない点がある。

本来、学校内の保健管理上のコモンな問題へのアドバイスは、学校医によりなされるべきであろうと思う。
しかし、専門分化された現在の日本のプライマリ・ケアの現場では、与えられた課題が学校医の専門外になると、必ずしも対応が可能でないこともあるという事情があるようだ。
たとえそれが、日常よくありがちな健康問題であっても…

今回のお話でも、講師が見つからずに、学校側では大変お困りの様子であった。
学校医の先生は「対応できない」との回答で、やむを得ず保健所に相談したら、関東のボランティア団体?を紹介されたとのこと。いわきはいちおう中核市なんですけどッ!
で、結局 巡り巡って小生のところまでお話が届いた次第…
そのお話を伺って、いま現場で困っている人たちを導くシステムがないことに愕然とした。

講演では、エピペンの使い方をマスターすること以上に、エピペンを打てる環境・組織作りの重要性。そして、すみやかに受け入れる医療機関が確保できることの意義をお伝えしようと思う。
そして、こういった企画の講師が見つかりにくい日本の事情を説明しつつ、倍返しというわけではないが、ちゃっかり家庭医療の宣伝もしちゃおう!と企てている。

高齢者医療の崩壊だけでなく、地域包括ケアをリードしていくべき学校医が学校保健の中で機能していない現状もまた、地域医療崩壊を垣間見るの1つの形であるし、これまでの日本の医学教育がもたらしている歪みそのものである。
プライマリ・ケアの利用者が、プライマリ・ケアの担い手を、必死に探さなければならないし、それでも見つかるかどうかわからないのが、今の日本の現状!
それなのに、「病院志向になるな!」「コンビニ受診するな!」「気軽に救急車を呼ぶな!」と広報したところで、「じゃあどうすればいいの?」と10倍返しされても当然の結末なのである。
だから、今回のことは、単なるエピペン講習の問題ではなく、これから地域医療を改革していくうえで、地域単位でプライマリ・ケアを担当する家庭医・総合診療医の役割を明示し、実践できるシステムを作ることがどれだけ重要かを強く示唆する大事件なのである。

自然体であること

人生のクライマックスを自宅や長年お世話になった介護施設で!

そんな素朴な望みに応えていきたい。

今日は強くそう思った。

ご本人も、ご家族も、残りの人生がそう長くないであろうことを受容し、大切な時間を大切な人と過ごしたい。
そんな純粋で素朴な思いをお持ちの方は多い。
しかし、それは簡単にできることではないだろうとはじめからあきらめてしまっていることも多いように思う。
事実、終末期を在宅で過ごすためには、多くの介護力、訪問看護や訪問診療などの医療的サポートが必要になる。
現在のわが国では、これらの供給体制が絶対的に不足していて、特に医療的なサポート体制がとれずに希望が叶わないという話をよく耳にする。
家族もまた、自宅でも多くのサポートが受けられる可能性があることを知らずに、「絶対無理!」と、はなからあきらめてしまうこともあるだろう。
結果、多くの方々が、望む望まないにかかわらず、医療機関で最期をむかえることになる。

入院治療が救命につながらず、また、本人・家族もそれを望まないのであれば、病院のような日常からかけ離れた場所で過ごすべきではない。
個人的には強くそう思うのだが、現実には沢山の方々が、病院の中でやがて来るであろう臨終のときを待っているのである。

一方、今日は、退院後お初となる2件を含む計4件の終末期の方々の訪問診療をさせていただいて、住み慣れたところで最期の時を過ごすことが、どれだけ自然なことかを見せつけられた。
皆さん“たたずまい”がとにかく自然なのだ。

水の中で泳ぐ魚。
こたつにもぐる猫。
やたら吠える躾のなってない犬。
休みの日にはトドみたいに家でゴロゴロしている親父。
いくつになってもイケメンにときめいちゃう女子。
「やるな」言われたことは必ずやって見せるキカンボウ!

このようなあたりまえの光景と同じく、あたりまえの患者さんの姿がご自宅にはあった。

好きなように過ごし、好きなことを言い、機嫌が悪ければ何もせず、病院では決して許されない本当の自由がそこにある。

このような自然をサポートしたい。
こころからそう思う。
そして、一人でも多くの方々が、自然に帰ることができるように、同じ価値観を持った医療人たちが力を合わせてゆくことが大切だと思う。

2013年10月20日日曜日

家庭医として医学教育に関わるということ ~第87回 FaMReF@福島医大~



今日は講座月例の公開フォーラムFaMReF。
今回のFaMReFのテーマは、医学教育。
しかも今回は部内持ち回りの指導医レクチャーの順番がまわってきた。







FaMReFは、レジデントのポートフォリオ作成支援も兼ねているので、「日本プライマリ・ケア連合学会 基本研修ハンドブック 2012 南山堂」に準拠した内容の「おしながき」もこなしつつ…


「わたしたちにとって医学教育とはなんぞや?」

折角の機会なので、少し本質的なところまで考えてみた。

むかしの偉いお医者さん曰く
「患者のいないところで 教科書のみでは教えないほうが 安全である。最善の教育は 患者自身が教えたものである」 William Osler, 1903

これに触発されて、自分も医学教育の定義を考えてみた。
「臨床家にとって 医学教育とは 医療の利用者から学ぶ方法を 初学者-上級医との間で 双方向性に共有することである」 Atsushi Ishii, 2013

教えるということは「仲間とともに、患者さんとともに、患者さんから学ぶということ」なんだと思う。

老子曰く 「授人以魚 不如授人以漁」 

目の前の患者の診かただけを教えるのではなく、患者から継続的に学ぶ方法を、ともに実践し、互いに伝え合っていきたい。

また、学習者にもいろんなキャラクターやニーズがあるけれど、それは、患者さんにいろんなキャラクターやニーズがあるのと同じで、患者中心の医療の実践を心がけ、学び続けるのと同様に、僕らは、学習者中心の医学教育を心がけ、学び続ければよいということを確信した。

「学習者を惹きつける魅力は教育です.教育活動が活発に行われている講座・部局・施設に学生は関心を示しますし, 教育活動が活発に行われている病院に研修医も集まっています.若い人が集まり活気のあるものにするには, 教育をいかに活性化にするかが大切です.」 2013731日日本医学教育学会理事長 伴信太郎

伴先生が述べられている通り、いかに楽しく、継続的に、教育環境を整えていくことが重要であるかを、日頃の診療・教育の現場で実感している。

ここまで医学教育について考えてきて、ふと思い出したことがある。
それは私たちにとっての最高のエールでもある。
以前、長崎から福島を訪れてくれた森薗君の言葉…

何より心に残っていることは、福島で出会った先生方が、とても楽しそうであったことだ。仕事を楽しんでいる。その姿を見せることが本当は一番の教育なのかもしれない。

これは日経メディカルオンライン「カデット」の体験リポートの結びに掲載されている。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/igakusei/report/201304/530078.html
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cadetto/igakusei/report/201304/530078_2.html

また地道に頑張ろうと思う。

2013年10月17日木曜日

実践家庭医塾 ~初期研修医が追求する患者中心の医療~

まあ、よくぞここまで!

毎回思うのだが、特に今回は家庭医療を知ってわずか2週間で、と思うと余計に研修医の成長が嬉しい。
現在、地域医療ローテート中の彼は、タイガーな甘いマスクを武器に、色んな意味で注目の的である。
好例となった臨床研修医による患者中心のプレゼンテーション。
いわきでの地域医療を通して学んだことを、見事にまとめあげてくれた。
特に感心したのは、彼のプレゼンのキーメッセージとして、

「Be There!」

をとりあげていたこと。

患者・家族と一緒に危機を乗り越えるために、ただそこにいることに意味を見い出すことができるセンスを大切に、これからも成長していってほしい。

経験の浅い医師であっても、患者さんの人生そのものを診るために今すぐにできること。
今すぐに実践すべきことは何かを学び、わきまえて行動してくれていることが何よりも嬉しい。

彼が羽ばたく未来はもう澄みきっている。

2013年10月14日月曜日

急に熱を出すと・・・

急に熱を出すと、色んな方々に迷惑をかけますねぇ~
これって非常にコモンな状況にもかかわらず、職務上のバックアップ体制はほとんどありませんから・・・

まあ、ゆっくりと計画的に熱を出すということは普通ないので仕方ないのだが、
こんな時は、あらためて医者はなるべく1人で行動しちゃいかんと思う。

扱う対象が人命である以上、電気・ガス・水道といったライフラインと同じように、
何重ものバックアップや復旧体制が必要。

個々の医師などの医療・介護スタッフの自主性や努力に依存し、ライフラインとしての医療・介護の整備や、医師などの医療・介護スタッフのの配置を後回しにしてきた今の日本の医療・福祉供給体制は、まるで虫食い状態のまま稼働し続け、歪みの修正が困難になっている。

2030年の超高齢社会、日本が医療・介護難民に溢れる孤独死や自殺が蔓延する地獄と化すのか、笑顔溢れる未来の鉄人社会に生まれ変わるのかは、わずか数年以内に国民総動員のムーブメントがあるかないかにかかっている。

沢山の皆さんに問題意識を持って欲しい。
自分や家族が医療や介護を必要としなければ気づかない我が国の危機。
今のままでは、そう遠くない未来に、日本でまともな医療や介護は受けられなくなることを知って欲しい。
しかし、まだまだ手遅れではないことも・・・

医療や介護そのものを生活の一部として組み込んで、その周りに多彩な関連雇用が生まれて、老若男女問わず元気なパワーはもらさず社会還元していくような街づくりをすれば・・・

なんて寝込みながら脳内で構想を練っているうちに解熱し、無事復活!

折角の連休なのに退屈させた子供らに罪滅ぼし。
ベタベタの三崎公園だが、ここってこんなに広かったっけ?

 手乗りマリンタワー

花と蝶?

近くにいいとこたくさんある。
こんないわきを誇れる街に創生していこう!
裸足で駆け回る怪獣を見てそう思った。

2013年10月7日月曜日

トランス状態?が打ち砕く苦手意識 ~人生初の楽しい運動会~

私は運動が大の苦手である。
当然、運動会は嫌い!

何が苦手って、私は全力疾走をするといつも、スタートから40Mを過ぎたあたりから必ず急性の両下肢脱力に見舞われて失速し、それでもそのまま強引に走り続けると眼前が真っ白になり、その後最終的には酷い嘔気に見舞われ、けれど嘔吐すると速やかに治癒する。

発症は確か小学3年頃で、現在に至る。

そんなことを繰り返してきたから・・・
こんな体質で運動会を好きになれるわけがない。

全力疾走しなければ起こらない現象であるけれど、結果、短距離走は大の苦手とならざるを得ない。
なのに、他のことをしながら全力疾走するバスケットボールやサッカーなどでは大丈夫だし、長距離走、つまり校内マラソン大会とかでは・・・
中学で約200人中10番台とか、高校でも約500人中30番台とかで、むしろ得意な方だった。
なので、先天性筋疾患などでもなさそうだし・・・

こんな状況を来す疾患の snap shot diagnosis ってあります?

日常生活では全く支障がないので、敢えて診断するつもりも、診断する必要性も感じてはいなかったけれど、できればこの状況を密かに克服したいとは幼少時より思っていた。
状況的に、準神経症領域の準病的状況がもたらす現象であろうと見積もって、自分に「大丈夫、普通に走れる!」と何度か暗示をかけてみたりもしてみたが、あまりうまくいかなかった。
かといって、全力疾走前に精神安定剤を頓服するのも理不尽だし、してみたこともなかった。

昨日は、末っ子の幼稚園の運動会。
ただの運動会ではない。
父兄も参加型の、しかも本気で参加型の運動会。
父兄によるガチのリレーもある。

自分にとって、一番いや~なやつ・・・

しかし、今日の運動会ばかりは楽しかった。
わりと真面目に走ったのに気持ち悪くはならなかった。

ほぼ徹夜で挑む運動会。
運動会が嫌で眠れなかったのではなく、強制的に・・・
つまり前夜は当直。
眠いような気持ちいいような夢心地の運動会。
この状況=ほぼトランス状態で迎える運動会自体 人生初か?

運動会では、子供たちがそれぞれの力をできる限り、あきらめず最後まで挑戦していた。
運動会を開催するために、どれだけの苦労があっただろう?
何年にも及ぶ除染、前日の降雨への当日早朝からの園庭の水処理と再整備・・・
多くの方々の力の蓄積が、子供たちの未来を創出している。
そんな大人たちからの沢山の愛を受け止めるかのように躍動する子供たちを目の当たりにして、
私はこの際、自分の走りなどもう どうでもよくなっていたのかもしれない。 (いい意味で)

そもそも、運動会とは、運動会嫌いの人間を苦しめるためのものではなく、私たちの成長のためにあるもの・・・
まさかそれが、親の代に対しても続くとは思ってもいなかったけれど、物事の本質・本当の目的を理解し、先入観を取り払ったことで、この年になってやっと運動会というものが少し好きになれた日曜の午後であった。

ちなみに、運動会での子供たちの活躍ぶりは、しかとこの目に焼き付けているので写真は一枚もない。

それにしても、子供たちにとっても運動会は、とても疲れるらしい。
ご褒美の外食の後、いつもより早く爆睡に就いた息子・・・

2013年10月1日火曜日

嬉しいご依頼 ~地域医療研修プログラムの更なる充実を目指して~

本日は、東京慈恵会医科大学附属病院臨床研修センターの先生方が、今年から開始となっている当院での地域医療研修の受入れ枠を、来年度以降段階的に増員して欲しいとのことで、遠路いわきまでご挨拶におみえになった。
お話によると、すでに当院でのローテートを済ませた研修医の先生方からの、当院での研修内容への評価がとても高いので、今後、受入れ人員も、研修期間も拡充の方向で進めさせて欲しいとのこと。
建学の精神「病気を診ずして病人を診よ」に象徴される、患者中心の医療の先駆けである大学から、このようなご評価をいただけるのは大変光栄なことである。
地域医療研修プログラムの教育担当として、この上ない喜びであり、お手土産の 慈恵医大&コロンバン コラボの慈恵医大学章入りオリジナルクッキーのように幸せな甘さを感じるとともに、身の引き締まる重い想いでもある。


最近、訳あって医学教育について多方面から考える機会があるが、実際の臨床・教育の現場で、学習者のニーズを叶えつつ、そのニーズをど返ししてでも伝えるべきものを、バランスよく伝えていくことの難しさを日々感じている。

そんな中、日本プライマリ・ケア連合学会認定の病院総合医養成プログラム福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース 病院総合医フェローシップのプログラム責任者を拝命することになった。
これからも、より多くの学習者(学生や研修医、若き指導医など)に「いわきで学んで良かった」と思ってもらえるように、今後さらに「いわき」ならでは の学べる仕組みつくりに努めてきたい。

2013年9月28日土曜日

家庭医として終末期ケアに関わるということ ~第86回 FaMReF@郡山~

秋晴れの今日。
皆様、稲刈りにレジャーに精を出していることだろう。
おいらも負けじと車に乗って着いた先は・・・

会議室 ( _ _ )..........o

月例の勉強会。
窓から見えるほんとうの空を垣間見ながら気を取り直して頑張っていこう!!!

終末期というものをあらためて考えていみると、漠然とした暗いイメージとは裏腹に、実はそれは人生の締めくくりであり、クライマックスであるわけで、ある意味 華やかに花道を飾りたい時期でもあると思う。
個別のこだわりや希望を、時に遠慮なく我がままを叶えたいところ・・・

レクチャー担当のゴローちゃんが示してくれた、終末期の定義:「死」を意識しだしたころから
私たちは、家庭医としてどのように関わっていけばよいか?


比較的「死」が身近な存在である医師として、「死」を受け容れることに慣れていない患者・家族への配慮がどれだけ大事であるかを再認識した。

終末期の緩和医療の手法には、ある程度の標準的なマニュアルが出来つつあるが、ケアの方針の選択や、個別の事情への対応をどうしていくべきかということに関しては、必ずしも一定の正解があるわけではない。
例えば、本人の意思確認がこんな状況下であれば、患者中心の医療の方法の適用は大変難しくなる。

よりよいケアのために、プロとして上手に悪い知らせを伝えること。
日頃から、「死」を異常なこととしてではなく、日常的なあたりまえのこととして、患者さんや家族との診療上の話題にできる雰囲気づくり、関係づくりができたら良いと思う。

これからの多死社会。
あたりまえの医者として、患者さんがあたりまえの死を迎えることができるよう、サポートしていきたい。

嬉しい歓送迎会

平成25年9月26日。
初期研修(地域医療)で頑張ってくれたI先生の慰労会と、来年度以降、故郷いわきの地域医療に一肌脱いじゃおうかなぁ~いうことで、遅い夏期休暇を利用していわきに見学に来てくれたW先生の歓迎会。


I先生は、いわきで気づいた日本の地域医療の現状を踏まえて、20年先を見据えて問題提起してくれた。
その中で、僕らのようなジェネラリストの必要性を深く深く、理解してくれた。
ご自身の進路についても熟慮して、いい選択をしてもらいたい。

W先生は、一人の医師として地域医療にどのように貢献できるかを追究し、研鑽を積んでてこられた、とても尊敬できる方であった。
地元の医療の現場では、暗いニュースばかりが続いていただけに、地域医療を支えてくれる若い医師を新たに迎えることができるとすれば、この上なく嬉しいことである。
彼女の熱意が地元で実を結ぶことを祈っているし、そのために私たちにできるサポートは何でもしていきたい。

そんなこんなで、熱く議論を交わしつつ、旨い肴と酒をたんまりいただきながら、夜は更けていくのだった・・・

2013年9月25日水曜日

2030年 超高齢未来を考える勉強会 ~いわきのあすを明るくするために~

超高齢化が進む中、いわきが日本で最初の「幸せな長寿市」になれるようにしよう!
というわけで、本日はその第1回の勉強会であった。
商工会の方々、医療関係者を含む、多職種40名弱が一堂に会し、2030年超高齢未来 破綻を防ぐ10のプラン」 東京大学高齢社会総合研究機構 著 (東洋経済新報社) を参考書に、熱心に学んだ。
臨床研修医のHちゃんも、現在の社会保障制度の問題点について、いわきで学んだことを含めてプレゼンしてくれた。
2030年・・・彼女が医師として働き盛りとなるころに、私たちはどんな時代を切り拓いているだろうか?
これからは、高齢者が増えすぎて、高齢者を若年者が支えきれる時代ではなくなる。
素直に長寿を喜べない現状がある。
その中で、いかに元気な高齢者の自立を支えていけるか、実は宝の山である高齢者の溢れるパワーを未来の日本のために活かすことができるかが、これからのカギになると思う。
そもそも、今回の勉強会のような興味深い取り組みをリードされている方の中に、たくましい後期高齢者が含まれている事実自体、心強い限りである。

人が住みよい街とは?
人と社会との関わりを意識した都市計画が重要である。
生活の場、つまり住む場、仕事の場、買い物の場、娯楽の場、療養の場などをごちゃ混ぜにして、共に支え合いながら、最期までその人らしく、生き甲斐や役割をもって生きていけるような街づくりが出来たらいい。
その中で、医療・福祉を提供する立場から、私たちに何ができるか?何をするべきか?
元気な高齢者を要介護者にしないための予防戦略、介護に疲れた家族が体調を崩さないための配慮、そして、安心して看取りができる環境の整備・・・
この先、避けては通れない医療を核としたコンパクト・シティーを目指して取り組んで行きたい。

2013年9月20日金曜日

2013年9月20日 いわき市 震度5強

嫌な地響きと突き上げる衝撃・・・
強制的にあの日を思い出させられる瞬間。
その直後に緊急地震速報
「(いつものことだが)順番逆じゃねぇ?」
と心でツッコミを入れながら・・・
午前2時25分頃、草木も眠る時刻に、まさにいわき市内を震源とした直下型の地震に叩き起こされた。
幸い、揺れはすぐにおさまったので、自宅内で大きな被害はなさそうだったが、念のため自宅内を巡回したら、食器棚内の一部のコップ倒れで扉に堰き止められていたり、冷蔵庫の扉が開いたりしていた。
そして、フロアに沢山の物が散乱している・・・
いやっ!
これは、ただ単に昨夜子供が散らかして片づけないまま寝てしまっただけだ (笑)
子供と言えば、こんな揺れでも起きやしねぇ~
再三の親からの「片づけなさい」をスルーして寝てしまうだけあって、なかなか図太いものである。
出勤途中、病院近くの鹿島街道では、水道管が破裂したのか?
10メートル超と思われる高い水柱が猛烈な勢いで噴射していた。

当院では若干名の外傷患者さんを当直医が受け入れていた。
エレベーター1基が故障したことを除いて、重大な混乱や断水等のライフラインの問題はないようだった。
そして医局・・・
散々だ!
決して日頃からこんな状態というわけではない!
2011年、何度も何度もこんな風景になった当院医局。
病院で最もデンジャラスな場所であることは、どうやら間違いないらしい。
昨夜は、オーストラリアからのクレア先生や、当講座のボスも、いわきステイであったが、無事を確認できて、ひとまずほっとした次第である。
でも、地震に不慣れであろうクレア先生はきっと、かなり驚かれただろう。

2013年9月19日木曜日

実践家庭医塾 ~日本流プライマリ・ケアの構築のために~

本日、中秋の名月の夜の実践家庭医塾は2部構成!

先ずは、前回に引き続き、地域医療研修のために東京慈恵会医科大学からいわきを訪れている臨床研修医の気づきをもとに家庭医療の専門性をさぐる試み!
現在ローテート中の彼女は、わが国のプライマリ・ケアの現場で噴出している多くの問題を実感せずにはいられない事例を、僅か2週間あまりの間に数えきれないほど目の当たりにしてきた。
そのもどかしさを参加者に伝えるべく、当日の家庭医塾開始直前まで鋭意準備してくれた。
日本の医療を良くしたい。
誰もが安心して暮らせる国にしたい。
そんな熱い想いを受け止めることができた。
これからも、日本の未来を創る仲間として一緒に頑張っていきたい。


次に、夏休みを利用していわきを含む福島県を訪問してくださっている、オーストラリアのJames Cook大学家庭医療学のClare Heal准教授から、家庭医の臨床研究について、ご自身の研究のご紹介を交えてレクチャーしていただいた。

プライマリ・ケアの現場から生まれた素朴な疑問やニーズをきっかけに、日常診療に役立つエビデンスを、日常診療をしながら生み出していく文化が根付いていることにあらためて感心した。

プライマリ・ケアの整備という面では、診療にせよ、教育にせよ、研究にしても、ずっと先を行くオーストラリアなどの先輩諸外国の姿を参考にしながら、日本流のプライマリ・ケアを構築していくのが僕らの使命である。

2013年9月12日木曜日

福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース 病院総合医フェローシップ


このたび、かしま病院をメインの研修施設とした「福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース 病院総合医フェローシップ」が、めでたく日本プライマリ・ケア連合学会認定 病院総合医養成プログラムして登録していただけることが決定しました。
より多くの若い先生方に、いわきで研鑽を積み、満足してもらえるように、プログラム責任者として、このフェローシップの充実に努め、より良いプログラムに育てていきたいと思います。



<プログラム概要> 
福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座(以下:当講座)が提供する家庭医療学専門医コース 病院総合医フェローシップ主たる研修施設であるかしま病院では、予防医学から、急性期疾患の診断・治療、慢性期疾患管理、リハビリテーション、在宅医療、介護・福祉支援まで、地域の医療・介護・福祉の連携と向上に力を入れています。
研修を通して、これらすべての経験を積み、家庭医を特徴づける能力を充分に活用しながら、他職種との協働、患者・家族背景を考慮したコーディネートを数多く経験することで、より地域に根差した病院総合医として発展できるようデザインされています。
また、医師不足・偏在が著しい福島県では、地域医療のニーズに応えるために、特に一次・二次救急医療において、広範な疾患領域に対応できる診療能力の獲得が求められています。
かしま病院では、救急告示病院として年間1,000件超の救急応需をしており、複数の健康問題を有した高齢者への対応など、病院総合医としての能力を磨くための環境が整っています。

聖マリアンナ医科大学病院臨床研修Blog

聖マリアンナ医科大学病院臨床研修の地域医療の学外研修施設として、来年度から新たに「かしま病院」を加えていただけることになりました。
研修Blogに「超おすすめ」として紹介していただき大変光栄です。
なるべく多くの先生方に興味をもってもらえて、実際にいわきの地域医療に触れてもらえたら嬉しいです。

聖マリアンナ医科大学病院臨床研修Blog
http://blog.goo.ne.jp/st-mari-rinsho




2013年9月11日水曜日

家庭医療後期研修医送別会 ~更なる飛躍を祈念して~


今宵はこれから、 1年半にも及んだ かしま病院での研修ローテーションを今月いっぱいで修了し、10月から次のローテート先で新たな分野のスキル獲得に挑戦する Michell(通称)先生の、医局・法人あげての送別会。
病院から会場へ送迎バスが出る!

かしま病院で家庭医療後期研修の受け入れを始めて、はや6年目。
Michell先生は5人目のレジデントであるが、彼はその中でも最も真面目で、計画的で、情熱的で、意欲的であった。
殊に、彼のポートフォリオの提出のペースが順調すぎて、指導医のチェックが追いつかないという、講座史上 未だかつてないような珍現象すら起きている。これは偏にわたくしの不徳の致すところであるが・・・
医学生や臨床研修医への教育にも熱心で、生涯をかけて家庭医として生きることが いかに魅力的なことなのかを、多くの学生や研修医、実習・見学者に伝えてくれた。
Michell先生を見習うべきところは多いし、教わることも多かった。
なにより、彼と一緒に学べたことを誇りに思う。
そして、彼がいわきで学んだ数多くの経験が、更なる研鑽により大きく花開き、これから出会う多くの患者さんや地域のみなさんとの関わりの中で豊かに実を結び、本人もますます光り輝いてゆくことを確信している。

ところで、Dr. Michell の有能さがゆえに、彼がいなくなった現場で、残された身の診療・教育の容量が急激に増加することが容易に予想される。
当然・・・
新たに福島で家庭医としての一歩を歩んでくれる仲間を大募集中!!!
http://www.fmu.ac.jp/home/comfam/news/news.php?page=0
ということになる。

ふくしまからはじめよう!
http://atsushii.blogspot.jp/2013/05/blog-post_17.html

2013年9月9日月曜日

第90回 いわき緩和医療研究会


市内唯一の緩和ケア病棟を有する福島労災病院における試みや実際の事例が紹介された。
医師不足やスタッフ不足を背景に専従医がいない中、かなりのご苦労をなさっているであろう様子が垣間見られた。
興味深かったのは、症状コントロールが良好になれば、極力 在宅や外来管理に切り替えておられるということ。
もちろん画一的にそうするのではなく、個別性、個々の要望に配慮した対応に留意されているようであった。
多様化する要望に応えてゆくこと。
過ごし方、過ごす場所、、、
これは一見、新しい緩和ケアの形のようにも見えるが、よく考えれば、これは患者中心の医療の方法そのものである。
患者さん固有の病気の体験。
苦しみ、怒り、不安、痛み、恐れ、期待と失望、、、
多忙な日常の中で、これらにいかに寄り添い、共通の理解基盤、手法や目標を見出していけるかが課題である。
そのために、患者-医療者 間のコミュニケーションだけでなく、いかにスタッフ間のコミュニケーションを密にしていけるかが大事かを再認識した。

<次回予告>

2013年9月6日金曜日

地域包括ケア ~学校や幼稚園おけるアナフィラキシーの初期対応~

本日、地域の小学校から要請をいただき、学校におけるエピペンを用いたアナフィラキシー対策についての講習をさせていただいた。
学校医の先生を含め、このテーマの講師がなかなか見つからないとのことで、お声をかけていただき、「こんな時こそ家庭医の出番!」とばかりに喜んで馳せ参じた。


急なご依頼だったので、充分な資料等を準備できなかったけれど、児童のために一日でも早くマスターしておきたいという先生方の熱意に敬意を表し、できる限りシンプルにまとめさせていただいた。
エピペンの使用方法はいたってシンプルであり、誤解を恐れずに大胆にまとめれば下記のような手順で覚えていただければよいだろう。


しかし、エピペンの打ち方を知っていること以上に大事なのは、「いざ」というときに、すみやかにエピペンが打てる状態をつくることができる体制づくりであり、組織づくりだと思う。
教職員一丸となって児童を守っていきたい。
そういった熱意をビシビシ感じとりながら、有意義な時間を過ごさせていただいた。

これぞ地域社会と医療機関をまたにかける究極のチーム医療!

幸い「2度と来ないでください」ではなく「継続的にご指導ください♡」というお声をいただけたので、また遠慮なくお邪魔したいと思う。

2013年9月2日月曜日

(多分) 今年最後の夏祭り!


郷ヶ丘幼稚園の夏祭りにおける「お父ちゃん」の主な役割は、「たこ焼き」と「生ビール」販売と、「ねぶた神輿担ぎ」 などの力仕事全般。
一部の太鼓バカは「MUZIMA」(スワヒリ語で“生きている”という意味)という和太鼓集団を形成し、祭りを盛り上げるのに一役買っている。
自分は、足掛け11回目の夏祭りというわけだが、新しいお父ちゃん方が、慣れないたこ焼きや太鼓に果敢に挑戦し、どんどん指導的役割を担っていくようになるのを見るのが楽しい。
医学の指導や、職場の教育も、こんな風にワイワイ楽しくできたらいいと思う。
そのためには、参加者共通の目的や目標がしっかりしていることが大事なんだと思う。
子供の健やかな成長を願う、大人の気持ちが、父兄・職員一丸となって形になった。
そんなことを実感できる心に残る夏祭りとなった。


大人の身勝手で、海を汚し、子供に負の遺産を残してしまったことへの申し訳ない気持ちと、
それでも、子供たちと共に命の源の海に抱かれて生きていきたいという想いをこめ、
子供たちをクジラの背に乗せて、大きな空を激しく泳いでもらった。


私たちはここまで来た。
そして、これからも前へ進んでいく・・・