私が所属する福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座は、一般的な大学の教室とは異なり、主たる診療・教育・研究の拠点を、大学病院ではなく県内各地の研修協力医療機関(主に診療所や中小病院)においています。これは、本学が提案する「ホームステイ型医学教育研修プログラム」のコンセプトである「地域で生き、地域で働くことのできる新地域医療人の育成」に基づくものです。
激震後の医局 ※いつもの様子ではありません!
私は、震災急性期にいわき市に常駐し、当講座の研修協力病院であるかしま病院を診療の拠点とした医療支援を行いました。いわきの地域医療の現場を見てきた経験を振り返りながら、地域医療再生を実現するための、現時点での私の考えをまとめたいと思います。
かしま病院における震災急性期
<3月11日>
発災直後に患者・スタッフの安否確認をおこない、人的被害は落下物による軽傷者数名のみでした。建物は外壁の破損・落下、棟間のねじれによる壁、通路、階段の亀裂が確認されましたが、建物全体の構造上の問題はなく使用可能でした。しかし、手術棟内部の亀裂が甚大で手術室は実質使用不可能となり、また、配水管・貯水槽の破損のため予定備蓄水量の半分以下と判明し、以後およそ1ヶ月に及ぶ断水による影響が不可避となりました。
電話回線が混雑し、高度救命救急センターをはじめ近隣の医療機関や消防署、市災害対策本部、市医師会などとの通信がほぼ断絶した状態の中、付近住民が心肺停止患者(溺水によるもの)を自家用車で搬送してきたのを皮切りに、津波による傷病者が次々と搬送されました。ホットラインを用いた救急隊との連絡すらままならないため、応需可否にかかわらず事前照会なしでピストン輸送が延々と繰り返される状況でした。救急車両だけでなく、住民の自家用車や商用車、消防車両などによる搬送が続き、軽外傷、パニック発作、過換気症候群、中等症の外傷、重篤な多発外傷、低体温症、中等症の溺水、重篤な溺水の順に患者が増え、発災当日は50名強の救急患者が搬入され、13名が入院、18名が帰宅困難で院内に留まりました。(カルテが存在しない症例も多数あり正確な受診実数は不明)
<3月12日~14日>
断水・貯水槽の損傷・院内配管障害のためトイレ・入浴等の衛生管理が不可、手術室使用不能・医療機器消毒不能、検体検査の大部分と内視鏡検査が施行不能、血液透析が施行不能という状況が続く中、救急車応需数は1日20台を超え、救急搬入患者数が通常の3倍程度となりました。急場を凌ぐために通常外来を閉鎖して救急のみ応需、病棟数を通常の5病棟から3病棟稼働に減らし機能を集約しました。それでも職員の確保は困難を極め、大幅な勤務体制の変更、職員用宿泊所増設・院内仮設託児所増設などで対応しました。リハビリテーションの休止など病院機能制限で手のあいた職員は総出で飲料水の確保にまわり、患者給食は1日2回に制限。籠城さながらの体制に入っていきました。
市内に目を移すと、福島第一原子力発電所の事故に伴う生活不安、ガソリンを含む生活物資の流通停止、避難指示の錯綜、未確認情報の氾濫、住民の大量避難が始まり、介護施設の集団避難、医療・介護施設の閉鎖・縮小、市独自の避難勧告などで行き場を失った自力移動困難者が次々に救急来院し、避難所からの来院も増加しました。かしま病院でも江名・永崎・中央台地区を中心に近隣の避難所への医師の巡回を独自に開始しましたが、いわき市全体では一時およそ9割の診療所が診療を継続できなくなっていたとされ、必然的に医療・介護難民が多数発生し、まさに地域のプライマリ・ケアが破綻した状態に陥っていました。
<3月15日>
いわきコミュニティーFMの情報をもとに、原発事故による避難区域内の病院からの一時待避所となっていた県立いわき光洋高校を緊急訪問。寒い体育館内で既に多くの高齢者が脱水や低体温などにより極度に衰弱し、必死の補液・加温にもかかわらず次々に亡くなっていく惨状に直面することになりました。各災害対策本部や市保健所、市医師会・災害支援医療チームや各医療施設間で迅速かつ正確な情報共有が出来る体制が整っていなかったことが招いた悲劇といえるでしょう。
そんな中、原発事故に関連した状況悪化を懸念した理事長から非常事態宣言が発令されました。ガソリン不足や交通機関の麻痺で病院運営に必要な職員確保ができなくなり、医療・衛生環境の保持や食料供給も困難になっていたのです。病院機能を更に集約し、コア・スタッフと自主的に残った職員で当番制を引き、残りは自宅待機(一部避難)、勤務継続可能な常勤医師数は21名から一時13名まで減少し、地域のための医療機関としての役割を全うできなくなりました。
<3月16日~27日>
ほぼ毎日同じ職員が泊まり込みの交代勤務にあたる中、残った職員間では強い連帯感が生まれていました。一方、避難ないし待機職員に対する批判も少なからず生じていました。理事長は全職員に向けてパブリック・コメントを出し、働いてくれている職員をねぎらう一方で、協力が困難な職員に対しても、状況の安定後の出来る限りの協力をお願いしていました。
液状化した地盤
<3月28日以降>
通常の診療業務を再開。この頃にはリクルート面への影響も明らかになり、医師新入職のキャンセル、常勤医の退職、非常勤医師の撤退、看護師やリハビリスタッフの予定外離職が相次ぎました。しかし、理事長のパブリック・コメントが奏功したのか、職員数は徐々に発災前に近いレベルまで回復し、震災急性期に病院に残った職員と、自宅待機(一部避難)していた職員との温度差も最小限に抑えられたようです。
震災で浮き彫りになった地域医療システムの脆弱さ
今回の震災では阪神・淡路大震災や新潟県中越地震などとは異なり、犠牲になられた方々の多くは津波による溺死で、地震そのものによる建物損壊で重い外傷を負った患者さんは比較的少なかったことが被災地の各中核医療機関から報告されています。いわき市でも Japan Medical Assosiation Team(以下、JMAT)をはじめ全国から多くの医療チームの支援を受けましたが、災害発生後数日で外傷への急性期対応は一段落しました。私もJMATに加わり避難所巡回をしましたが、その後の医療ニーズが、交代制で被災地を巡回する災害支援チームの医療に徐々に馴染まなくなっていくのを強く感じていました。勿論、通常の医療システムが機能しない中、災害支援チームの活動が避難者の健康管理に寄与したことは言うまでもありません。その一方で「たびたびお医者さんに診てもらえるのはありがたいけれど、毎日違うお医者さんが来て、それぞれ違う薬を置いていくから、どれを飲んだらいいかわからない」「何度も始めから同じことを話さなければならないのが辛い」といった声が避難所で頻繁に聴かれました。避難所の方々や地域住民は散発的な医療支援ではなく継続的に診てくれる“かかりつけ医”を求めていました。
地域医療を円滑に提供するための条件として、地域の診療所の医師と病院の各科専門医との良好な連携は最も重要な要素といえます。震災急性期のいわき市においても、軽傷患者のケアや慢性疾患の継続的管理、および疾病予防のための生活指導などを担うべき地域の診療所の医師の役割はきわめて重要でした。
しかし、実際は地域の診療所の多くが診療を継続することができなくなり、地域医療を守るネットワークとして機能しなくなりました。その結果、多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフは疲弊してしまい、本来病院が担うべき役割を果たすことが困難になりました。そういった影響は、かしま病院のような中規模病院にも少なからず押し寄せていました。
それでは、診療所の多くが診療を継続することができなくなった理由は何でしょうか?通信が断絶して診療所毎に個別に入手できる情報が限定されたことや、原発事故の影響で支援物資の物流が滞り、訪問診療・訪問看護はおろか職員の通勤や基本的生活すらままならなくなったことは、診療所のように交代要員の少ない小規模な医療機関にとって大きな痛手となったのでしょう。診療所の約8割が個人開業という今のいわき市の地域医療体制がいかに災害に対し脆弱であるかを痛感しました。
日々繰り返される震災急性期類似の地域医療崩壊
個人開業の診療所が多いことの弊害が浮き彫りになるのは実は災害時だけではありません。多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフが疲弊してしまうという状況は、いわき市に限らず今の日本において災害時限定の特殊な問題ではなく、もはや毎日のように起きている重大な社会問題と言えるでしょう。
診療所の医師のほとんどが個人開業している現状では、たとえかかりつけの患者さんであっても、1人の医師で24時間365日対応できる体制を整えることは現実的ではありません。それでも医師がプライベートを犠牲にしていつでもかかりつけ患者と連絡がつく体制を整えている場合や、いわき市医師会のように休日夜間急病診療所や休日当番医を設けている場合がありますが、地理的な制約・診療時間の制約・診療内容の制約などが足かせとなって、結局、休日や夜間には患者さんが直接病院に殺到しやすい現状です。
震災に学ぶ地域医療再生
いわき市内のいくつかの医療機関や福祉施設などで、震災急性期に勤務を続けていた職員が、自宅待機ないし一時避難していた職員を未だに批判しつづけているという話を耳にします。しかし、そういった行動は、葛藤の末に戻ってきてくれた職員の傷心に追い打ちをかけ、結局いわきを去ってしまうという悪循環を生みかねません。止むを得ない事情で勤務を続けられなかった職員、そして止むを得ない事情で地域における役割を全うできなかった多くの診療所やかしま病院を含むその他の医療機関を批判することよりも、私たちは今、限られた医療資源を総動員して、地域医療を支えていく姿勢が問われています。深刻な物資不足に陥ったかしま病院を救ったのは、奇しくも病院を案じながら自宅待機していた職員からの支援物資でした。何もしない人を批判するのではなく、何かしたくても何もできないでいる事情や立場を理解することから次の一歩が踏み出せるのだと思います。
私は、個人開業の多くの先生方が、ご自身の“かかりつけ”であれば診療時間外であっても可能な限り診療したいと考えているし、条件さえ揃えば実際にそうされていることを知っています。病院勤務医もしかりです。一方で、前述のとおり1人の医師で毎日24時間対応できる体制を整えることは現実的ではありません。やりたいのにやれないもどかしさを解消し、医師一人ひとりの「いわきをなんとかしたい!」というエネルギーを集約し、具体的な行動と成果につなげられるよう、医師会のリーダーシップのもと、これまで以上に実効性の高い強固な医療連携システムを全員参加で早急に構築することが望まれます。いわき市医師会が信頼と絆で結ばれた強固な医師団に生まれ変わり、震災を経験したこのいわきの地で、全国に先駆けた地域医療再生が実現することを願ってやみません。