医療を街に置く ― かしまモデル 二十年の軌跡 ―
第36話 Day 3–4 命は、病気だけでは失われない。
2011年3月13日。
震災から三日。
外来には、地震によるけがの患者さんが多く訪れるようになりました。
一方で、当直では震災とは直接関係のない急病も少なくありませんでした。
余震は相変わらず続いていました。
でも、不思議なことに、誰も揺れを気にしなくなっていました。
恐怖に慣れたのではありません。
それ以上に、目の前の患者さんを診ることに必死だったのです。
そして翌日。
震災四日目。
救急車は一日に二十四台。
初療室は、かつて経験したことのない混雑でした。
しかし、運ばれてくる患者さんの様子が少しずつ変わってきていることに気づきました。
津波でけがをした人ではありません。
避難所で倒れた人。
給水の列で倒れた人。
疲労や脱水で動けなくなった人。
震災そのものは生き延びても、避難生活によって命が脅かされ始めていました。
「災害関連死」という言葉を、私はまだ十分理解していませんでした。
でも、目の前では確かに、
暮らしが壊れることが、人の命を奪い始めていたのです。
その日、一通の紹介状が届きました。
ご自身も避難所で生活されている開業医の先生からでした。
避難所で容体が悪くなった、かかりつけ患者さんについて、丁寧に病歴や生活背景が書かれていました。
ご自身も被災者でありながら、患者さんを最後まで支えようとする姿勢に、深い敬意を抱きました。
一方で、病院の収容能力は限界に近づいていました。
そして、もう一つ困ったことが起きていました。
タクシーが一台も走っていなかったのです。
救急車で搬送された患者さんが、治療を終えても避難所へ帰る手段がありません。
家も、お金も、津波で失った患者さん。
特例として、救急車で避難所まで送ってもらうこともありました。
普段なら考えられない対応です。
でも、震災は「普通」を次々に失わせていきました。
その夜。
知人が、「お風呂だけでも使ってください」と声をかけてくれました。
震災後、初めて入る湯船でした。
温かいお湯が肩まで届いた瞬間、張りつめていたものが一気にほどけました。
私は、人に見られることもない浴室で、肩を震わせながら泣いていました。
お湯の温かさに泣いたのではありません。
誰かが、自分のことを気にかけてくれたことが、たまらなく嬉しかったのです。
あの日、私はもう一つ学びました。
人は、薬や点滴だけで支えられるのではありません。
誰かを思う気持ち。
誰かに思われているという実感。
それもまた、人を生かす力なのだと。
2026年の私より
震災から十五年が経ちました。
今、「地域包括ケア」や「社会的処方」という言葉が広く使われるようになりました。
でも、私はその原点を、あの避難所で見たように思います。
病気だけを診ても、人は救えません。
暮らしを支えなければ、健康は守れません。
そして、支える側もまた、人に支えられて生きています。
震災の日、お風呂を貸してくださった知人の温かさは、今でも私の中に残っています。
だから私は、患者さんにも、地域にも、同じ温かさを返していきたいと思っています。
医療とは、人が人を思う営みなのだと、あの日のお湯が教えてくれました。
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