2026年3月21日土曜日

「リブート」から夢想する家庭医療

TBSドラマ「リブート」を観ながら、得意の夢想が始まる。

この作品は、妻殺しの濡れ衣を着せられた主人公が、“顔を変えて別人として生きる=リブート”し、家族を守るために真実を追うという物語だが、 これは単なるサスペンスではなく、「家族」「再生」「嘘と真実」を軸にした物語である。

「人は、どこまでやり直せるのだろうか」

顔を変え、名前を変え、過去を捨てる――。
そんな極端な“再起動”は現実には起こらない。

けれど、私たちは日々、もっと静かで、もっと不器用なリブートに立ち会っている。

外来で出会うあの人も、病棟で寄り添ったあの家族も、皆それぞれに「前の人生」を背負っている。
診察室に入ってくるのは“今の姿”だが、本当はそこに至るまでに、何度も壊れ、何度も立ち上がろうとした軌跡がある。

うつで笑えなくなった人。
認知症で「らしさ」を失っていく人。
アルコールで家族を遠ざけてしまった人。

けれど私は知っている。
その人には、確かに「リブート前」があったことを。
誰かを大切にし、誰かに大切にされていた時間があったことを。

家庭医療とは、その“失われた物語”を探しにいく営みなのだと思う。

「大丈夫です」と言う本人。
「全然大丈夫じゃない」と言う家族。
「最近おかしい」とつぶやく周囲。

どれも嘘ではない。
どれも完全な真実でもない。

私たちは、そのバラバラの言葉を拾い集めて、ひとつの物語に編み直していく。
正解を当てるためではない。
その人が、もう一度“自分の人生を生き直す”ために。

ときに、患者は治療を拒む。
医学的には間違っている選択をする。
それでも、その選択の奥には必ず理由がある。

「家に帰りたい」
「迷惑をかけたくない」
「もう十分生きた」

それは論理ではなく、“その人の人生そのもの”だ。

だから私たちは、正しさだけでは動かない。
納得と、関係性と、時間の中でしか進めない医療を選び続ける。

リブートは、一度きりのものではない。
禁煙に失敗して、また挑戦する。
途切れた家族の会話が、少しだけ戻る。
歩けなかった人が、もう一度立ち上がる。

その一つひとつは小さく、誰にも気づかれない。
けれど確かに、それは“人生の再起動”だ。

そして、ときどき思う。
リブートされているのは、患者だけではないのではないかと。

迷いながら診療する日。
何もできなかったと感じる夜。
それでも翌朝、また現場に行く。

私たちもまた、誰かとの出会いの中で、少しずつ変わり続けている。

医師とは、完成された存在ではない。
誰かの人生に触れるたびに、自分自身も静かに更新されていく存在だ。

人は、何度でもやり直せるのだろうか。

答えは、きっと診療の現場の中にある。

劇的ではなくていい。
完璧でなくていい。

ただ、その人がもう一度、自分の人生に戻ろうとする瞬間に、そっと隣にいられること。

それこそが、家庭医療なのだと思う。

2026年3月20日金曜日

「つながり」に思いを馳せる日

 

今日は彼岸の中日。

春分の日と秋分の日を中心とする彼岸の時期は、
この世(此岸)とあの世(彼岸)が最も近づく時期とされています。

ご先祖様や大切な人に想いを馳せるこの日に、
私たちは日々の診療の中で出会った「いのち」と、そのつながりを思い返します。

お看取りの場面では、
その人が歩んできた時間と、
ご家族との関係が、静かに浮かび上がってきます。

別れの瞬間であっても、
そこには確かに続いていく“つながり”があります。

医療は、命を延ばすことだけではなく、
その人らしい最期と、その後も続くご家族の時間を支える営みでもあります。

彼岸の中日――
見えないけれど確かにある「つながり」に、思いを寄せながら。

私たちはこれからも、
一人ひとりの人生と、その先に続く物語に向き合う医療を大切にしていきます。

「別れは終わりではなく、かたちを変えたつながりの始まりかもしれません」

2026年3月14日土曜日

赤飯を捨てなくていい仕組み創り

 2026年3月11日 いわき市の学校給食として準備された赤飯約2100食が破棄されたとの報道を拝見しました。

震災から15年という特別な日に対する様々な思いがあり、関係者の皆さんがそれぞれの立場で真剣に考え、判断された結果であったのだろうと受け止めています。

一方で、医療や福祉の現場に身を置く者として、「食べること」は命や健康を支える根源的な営みであり、同時に食べ物を大切にする姿勢そのものが、次の世代に伝えるべき重要な価値だと日々感じています。その意味では、もし別の形で活かす方法があったならばとも思わずにはいられません。

東日本大震災の際には、多くの方が食料の不足や配給の不安を経験しました。

だからこそ、命を支える「食」を無駄にしないという姿勢もまた、震災から私たちが学んだ大切な教訓の一つではないかと感じます。

同時に、今回の出来事は、教育行政と市民、そして行政全体との間で、日頃から十分な対話と情報共有があったならば、また違った選択肢も見えたのではないかと考えさせられました。教育の政治的中立性は守られるべき大切な原則ですが、税金で支えられている公共サービスである以上、市民の目線や社会的な価値観と丁寧につながっていくこともまた重要だと思います。

医療の世界でも、出来事そのものを責めるよりも、そこから何を学び、次にどう生かすかを大切にします。今回の件が、学校、教育委員会、行政、そして市民の間の対話を深め、より良い形での行政運営につながっていくことを、一市民として心から期待しています。

2026年3月11日水曜日

東日本大震災から15年を迎えて

東日本大震災から、15年の歳月が経ちました。

あの日、いわきの街も大きな揺れと混乱に見舞われ、多くの方が不安の中で長い時間を過ごされました。
大切な人や日常を失われた方、今もなお様々な思いを抱えておられる方が地域にはおられます。
改めて、震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに、ご遺族や被災されたすべての皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

医療の現場もまた、当時は決して平常ではありませんでした。
それでも地域の医療機関、行政、介護・福祉関係者、そして地域の皆さまが互いに支え合いながら、少しずつ日常を取り戻してきました。

私たちかしま病院も、その一員として、地域の中でできることを一つずつ積み重ねてきました。

震災からの15年は、決して短い時間ではありません。
一方で、地域の暮らしや健康を守るという営みは、これからも続いていきます。

私たちはこれからも、
地域の皆さまが困ったときに頼っていただける「面倒見の良い病院」であり続けたいと考えています。
病気だけでなく、その人の暮らしや背景にも目を向けながら、地域をまるごと支える医療を実践してまいります。

震災を経験した地域だからこそ、
支え合う力と、人を思いやる気持ちの大切さを私たちは知っています。

これからも地域の皆さまとともに歩みながら、
安心して暮らせる地域づくりに、医療の立場から貢献してまいります。

そして何より、
この地域で暮らす一人ひとりの**「いつもの日常」が、これからも続いていくこと**。
その当たり前を支え続けることが、私たち医療に携わる者の役割だと考えています。

震災の記憶を胸に、

これからも地域とともに歩んでまいります。

あの日を忘れないこと、そして日常を守り続けること。
それが、震災を経験した地域の医療機関としての、私たちの責任だと思っています。

碁石が飛んだ日から ―東日本大震災から15年、家庭医として―

あの日から、15年が経った。


2011年3月11日

三春病院の医局で被災した。

テレビの上に置いてあった碁石が宙を舞い、

本棚が倒れかかってきた。

ただ事ではない、と思った。

テレビをつけると、

黒い津波が町をのみ込んでいた。

画面の向こうは、

私の家族がいるいわきだった。

電話はつながらない。

メールも届かない。

ただ、

津波の映像だけが流れ続けていた。

あの時間の長さを、

私は一生忘れないと思う。

どうにかして家に帰ると、家族は無事だった。

しかし次女は右上腕骨を骨折していた。

地震の2時間前、竹馬から落ちたのだという。

当時の私はブログにこう書いた。

「予知能力でもあるのか?」

あれから15年。

娘はもう大人になった。

あの骨折のことを、

今では笑いながら話し、

怪我や病気の人を看る立場になろうとしている。

それだけでも、

奇跡のようなことだと思う。

震災直後のいわきは、

地震、津波、原発事故、そして風評被害の中にあった。

ガソリンがない。

食糧がない。

医薬品が届かない。

それでも患者さんは来る。

低体温の人。

避難所で倒れた人。

不安で眠れない人。

そして、

原発20km圏内から避難してきた患者さん。

懸命に皮下注射を続けたが、

それでも救えなかった命があった。

医師として、

あの光景は今でも胸に残っている。

 

316日。

私は、

幼い子供たちを家族に託した。

原発事故の先行きは見えず、

子供たちは県外へ避難することになった。

私は、いわきに残った。

あの時のブログには、

「宇宙戦艦ヤマトのような気分で家族とハグした」と書いてある。

本当は、

そんな格好いいものではない。

ただ、

医者としてこの町を離れるわけにはいかなかった。

 

317日。

病棟に、

一枚の言葉が掲げられていた。

相田みつをの詩だった。

うばい合えば足らぬ

分け合えばあまる

食糧が尽きかけた病院で、

職員は泊まり込みで患者さんを支えた。

医師も、食事介助をした。

あの時、

私は心から思った。

この人たちと働けてよかった。

 

328日。

止めていた外来を再開した。

混雑する待合室で、

患者さんが笑いながら言った。

「先生、生きてたの〜?」

その一言に、

どれほど救われたことか。

あれから15年。

いわきの町は、

見た目には元に戻った。

しかし家庭医として地域を歩いていると、

震災はまだ終わっていないと感じる。

あの避難所で出会った患者さんが、

今も外来に来る。

家族を失った人。

生活を失った人。

健康を崩した人。

災害は、

終わらない。

 

2011年のブログの最後に、

私はこう書いている。

 

「この危機を、日本に家庭医療を定着させる好機にしたい」

 

正直に言えば、

その夢はまだ道半ばだ。

でも、

ひとつだけ胸を張れることがある。

私はあの日から今日まで、

同じ町で、同じ患者さんを診続けている。

家庭医とは、

災害の瞬間だけを診る医者ではない。

その後の人生を、ずっと診続ける医者だ。

震災は多くのものを奪った。

でも同時に、

人が人を支える力の強さも見せてくれた。

だから私は、

今日もここに居続けている。

 

あの日、

三春病院の医局で

テレビの上の碁石が飛んだ。

あれから15年。

碁石はもう飛ばない。

 

でも私は、

あの日からずっと、ここで飛び回り続けている。

2025年9月7日日曜日

胸に刺さる「19番目のカルテ」


 ドラマ『19番目のカルテ』最終話を見届けて

いやあ、ついに終わってしまいましたね。
『19番目のカルテ』、毎週ワクワクしながらテレビの前に正座していた方も多いのではないでしょうか。(私だけか…)

最終話、胸に刺さったシーンがありました。
他科の先生たちが、総合診療科の若手を支えてくれる場面。

更に…。

「優しさだけでは医療は成り立たない。だけど、優しさをなくしたら、私たちは医療をできなくなる」

「自分ではない誰かに、ほんのちょっとだけ優しくなる。それだけで充分!」

いやもう、ズルいですよね。
現場にいる私たち医師にとっても、患者さんや地域のみなさんにとっても、ずっしり響くフレーズです。

ドラマではイケメン、現実はフツー

ちなみに現実の総合診療医は…ええ、ドラマのようにイケメン揃いではありません。
(むしろ私なんかは、普通以下すぎて「え、先生もドラマ出てたんですか?」なんて聞かれると困ります。出てるわけない!)

ただ、私たちが日々奮闘しているのは本当です。患者さんの「この症状、何科に行けばいいの?」という迷いを受け止めること。生活や家族の背景ごと診ること。そして、ときに「全部まとめて診るのが、私たちの仕事です」と胸を張ること。

ドラマと現実のあいだで

ドラマの医療監修を務められたのは、実は私をこの世界に誘ってくださった師匠である生坂政臣先生。
私は偉大なその背中を追いかけてきた数多の人間の一人です。

ドラマを通して、総合診療という仕事が「かっこいい」だけでなく、「人間らしい」営みだと伝わったなら嬉しい限りです。

ドラマの中で描かれていたのは、総合診療医がただ病気を治すだけでなく、患者さんの人生や地域、そして若い医師たちの未来まで支えていく姿。

その一つひとつの場面が、かつて私自身が師匠に導かれた経験と重なって見えました。

ロケット花火だった若き日の私

2000年ごろの私は、まるで“ロケット花火”のような若手医師でした。

目を離すと、どこに飛んでいくか分からない。指導医の先生方はさぞ困ったことでしょう。

でも、生坂政臣先生という師匠は違いました。

「危なっかしいやつだ」と見限るのではなく、私の中にある燃料を見抜き、宇宙に飛んだ後に無事日本に帰って来られるように絶妙に舵をとってくださったんです。

今の私がここで地域医療に取り組んでいるのは、その師匠のおかげです。

良い総合診療医が、良い総合診療医を育てる

今日の最終回でも感じたのは、総合診療医は患者さんだけでなく、次の世代の医師を育てる存在でもあるということ。

“良い総合診療医が、良い総合診療医を育てる”――この循環こそが未来を支えるのです。

私もまた、受け取ったバトンを次の世代につないでいきたいと思います。


総合診療医は「なんでも屋」じゃない

総合診療医に対しては、こんな声を耳にします。

  • 「なんでも診れるわけないじゃないか」
  • 「誰でもできる仕事でしょ」

でも実際は違います。総合診療医は“全部自分で治す人”ではありません。

たとえるなら――

  • ラーメン屋さん、寿司屋さん、パン屋さんを全部知っていて、ぴったりの店に案内できる“町の食通”。
  • 壊れた電気製品を持ち込めば、とりあえず治すか、必要なら専門業者につないでくれる“町の電気屋さん”

そんな存在です。

病気だけでなく、生活や家族、地域の背景まで含めて“人まるごと”を診るのが、総合診療医の仕事です。


世界の常識、日本のこれから

実は世界では、総合診療や家庭医はプライマリケアの中心。これが当たり前であり、医療のグローバルスタンダードです。

でも日本では、まだ「よく分からない科」と思われがち。

だからこそ、このドラマで全国の多くの方に総合診療を知っていただけたのは、とても大きな一歩だと思います。

「こういう先生が近くにいたら安心だな」と思っていただけたなら、それだけで大成功です。

私は、かつてのロケット花火時代を支えてくださった師匠のように、これからも地域で、患者さんやご家族の“なんでも相談所”でありたいと思います。


困ったときに「とりあえず相談してみよう」と思える医者。

そんな存在が、あなたの町の総合診療医です。

ドラマが終わっても、総合診療の物語はまだまだ続きます。

どうぞこれからも、身近に感じていただけたら嬉しいです。


優しさと医療

最終話の台詞にあったように、医療に必要なのは技術や知識だけではありません。
もちろん優しさだけで病気は治せません。でも、優しさを失った瞬間、医療はただの作業になってしまいます。
それは医師にとっても、患者さんにとっても、あまりに不幸なこと。

ですから私たちは今日も、診療の現場でちょっとした おやじギャグも交えつつ、優しさを手放さないようにしています。


テレビの中の物語は今夜で幕を閉じました。
でも、いわき市や地域のみなさんの「19番目のカルテ」は、これからも続いていきます。

ドラマをきっかけに、総合診療科を「ちょっと気になる存在」と思っていただけたら、それだけで私たちの励みになります。

(フツー顔に満たない感じの総合診療医より)

2025年9月6日土曜日

絵本風に語る『19番目のカルテ』入門

ドラマに出てくる先生は、かっこよくてキラキラ。

でもほんとうの先生は……うーん、ダサダサで びみょ~。
それでもね、こころはピカピカなんです。

そうごうしんりょういのしごとは――
「いたいところ」だけじゃなく、
くらしや しゅうかん、こころのもやもやまで まるごと見ます。

あるひ、「かたがいたい」ときたおじいちゃん。
よくよくきいてみたら……じつは しんぞうが「たすけて!」のサインでした。
びっくり!でも、これが まいにちのふしぎ。

くすりだけじゃなく、
「おさんぽ 15ぷん」や「しおひかえめカレー」だって しょほうします。
(味は すこし もの足りないけど、こころはにっこり味)

「19ばんめのカルテ」の“19”は、
にほんで19ばんめにできた しんりょうか、というしるし。
まだあたらしいけれど、
「ここにいけば なんとかなる」――
そんな おまもりのような そんざいでありたいのです。

からだやこころや その他の困りごとで まよったら――

「まずは そうごうしんりょうかへ」

きょうも だれかの 19ばんめのカルテが、
しずかに、でもしっかりと ひらかれていますよ!