2014年11月27日木曜日

不確実性と向き合うこと ~実践家庭医塾~

月例の家庭医療セミナーinいわき 実践家庭医塾
今月も、いわきに地域医療の臨床研修に来てくれている研修医に学びの経験を発表してもらった。


今回、研修医が着目したテーマは、超高齢社会に突入している我が国では、もはや避けては通れない“不確実性への対応”であった。
貧血と心不全を患った とある超高齢者のケアにあたり、どこまでの検査をするべきか?治療はどこまでやるべきか?
まさに不確実性への対応に迫られた体験をもとに、気づいたことや学んだことを見事にまとめあげてくれた。


そもそも、医療には100%確実で安全なものは、検査においても治療においても一つしか存在しない。
その一つとは遅かれ早かれ全員に平等にいつかお迎えが来ること。
極端な話をすれば、医療を利用すると決めた時点で、そのことが裏目に出て命に関わることもあるという現実を受け入れなければならない。
治療や検査をするべきかどうか迷うぐらいなら、むしろ何もしない方がいいかもしれない。
医者に殺されることを100%防ぐ唯一の手段は、医者にかからないことである。
逆に、医療を利用すれば、結果として不利益を被ることもありうるという大前提を理解せずに、検査・治療方針に関する選択の自由なんてありえない。
そのことを許容できないのであれば、医療を利用する権利はないと思う。
医療を受けるリスクを受容するかわりに、医療の恩恵を獲得にいく。
医療とて、賭け事や勝負の要素がある。
そして、患者が高齢であればあるほど、死が不可避な状況が多くなり、どんな戦術をとろうとも、はじめから負け戦の様相が強くなることもまた事実。

こういった大前提を医療の利用者に十分に理解してもらって、ようやく同じ土俵に乗り、そこから各々の倫理観や哲学・死生観などを考慮して、個別の方針決定をしていくという過程には、多彩なコミュニケーション能力・多大な労力や時間を要する。
したがって、こういった内容の話し合いは、例えば患者さんが既に急変し切迫した状況下になってしまった後に家族とじっくり冷静に相談するなんて離れ業はほぼ無理である。
だからこそ、土壇場になってバタバタするのではなく、かかりつけ医の責務として日頃から患者本人の考えを中心とした医療提供に関する要望。特に終末期の栄養管理や延命処置等に関する重要事項に関して予め決めておくとよいし、それは本来そうやって時間をかけて行うべき内容である。
こうした努力を積み重ねて、不要な入院や救急搬送、そして何よりも患者本人に無駄な苦痛を強いる事態を回避できる社会を創っていこうと強く思った。

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