2014年11月15日土曜日

うばすて山を復活させろ! スウェーデンに学ぶ超高齢社会の看取りのかたち

「うばすて山を復活させろ!」

新潮75 特集 どうする超高齢社会!(新潮45 2013⑪別冊)で、ビートたけし氏が提言されている。

うばすて山が実在したかどうかは諸説あり定かではないが、超高齢社会をむかえる日本において、現代版の実質“うばすて山”は既に存在する。

認知症や身体機能低下などにより、社会貢献しにくくなった高齢者を、家族の代わりに病院や施設(入所や通所サービス)でまとめてお世話するという構造は、うばすて山となんら変わりない。
核家族化が進み、近所付き合いが希薄になり、家族力や地域力が衰えた現代だからこそ、現代型うばすて山構想は積極的に推し進めるべきなのではないか?

本来、うばすて山であれば、急変時の蘇生や、摂食不能時の栄養管理を希望しないという(少なくとも家族の)リビングウィルが確認できているということが大前提にあり、例外なくいわゆる自然死をむかえていただろう。
現代は、その辺が曖昧なままケアが続けられ、いざ「食べられなくなった」「急変した」段階で慌てれ医療を動員するという場面に頻繁に遭遇する。


2014年11月14日、前・駐スウェーデン日本国特命全権大使、国際医療福祉大学大学院 渡邉芳樹教授を いわきにお迎えして、スウェーデンの医療・介護について学ぶ機会を得た。
その中で印象的だったのは、スウェーデン人の死生観。
「食べられなくなったら死ぬものだ」として「生活の中の自然の死」に委ね「尊厳」がキーワードになる社会。
もしも病院で朝冷たくなっていでも、それを自然死として受け入れ、何も文句は言わない。
明確な終末期であれば、死亡診断はコメディカルが代行できる。
そんな個の強さがそこにはあるという。

人は弱いものとして「思いやりと支え合い」を重視する日本とは、一見正反対のように思えるが、強固な「思いやりと支え合い」がある日本だからこそ、もっと上手に素敵でハートフルな“うばすて山”を再建出来るのではないか?と夢想した。

0 件のコメント:

コメントを投稿