2013年8月10日土曜日

一片の曇りもない強い想いを伝え続けること ~長崎市長の平和宣言に添えて~

長崎市の田上富久市長が9日の平和祈念式典で読み上げた平和宣言から再認識し、学び取るべきことは多いものと考える。

<平和宣言要旨>
68年前の今日、1発の原子爆弾で24万人の市民のうち15万人が傷つき、うち7万4千人が命を奪われました。人間は数々の過ちを犯したからこそ、立ち返るべき原点を確かめねばなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。4月、ジュネーブで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
いかなる状況においても核兵器を使うべきではない、との文言が受け入れられないなら、核兵器の使用を状況によっては認める姿勢を示したことになり、被爆国の原点に反します。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、NPTを形骸化し、北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
核兵器のない世界を目指す決意を示した米国のオバマ大統領の姿勢を支持します。核弾頭の90%以上を持つ米、ロはもっと大胆に削減に取り組んでください。
日本国憲法前文には平和を希求する国民の決意がこめられています。そのためには戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。若い世代は被爆者の声に耳を傾けてください。あなたたちこそが未来なのです。
東京電力福島第1原発事故は収束せず、被害は拡大しています。福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
核兵器のない世界の実現に努力し続けることを宣言します。



この宣言の中には、誰もが納得・安心できる社会を創るためのヒントが満載していると思う。
暴挙を武力で制する時代も、エネルギー不足を付け焼刃な電力量で解決すべき時代も、とうの昔に終わってる。
その一方で、僕たちはこの時代を生きていかなければならない。
というより、むしろ、この地で、この時代を生きていきたい。
そのための知恵を、正しい知識を、僕らは備えていくべきなのだ!
私は、家族とともにいわきに生き続けることを決めた。
それは、いわきは安全だから・・・
ということではない。
厳密に言えば、安全な場所などどこにも存在しない。
しかし、私たちにとって、いわきで生きることが、他のどの土地で生きることよりも有益であることを確信できるし、そのための方法があることを、2年半かけて学んできた。
愛する故郷で、安心して安全に、そして幸せに生きていくための英知を結集する時が来ている。

そして、その礎となっている苦しみや悲しみ・悔しさを、決して忘れてはいけないし、絶対に譲れない主張は、堂々と訴え続けていく義務が、僕らにはある。

信念のない者に、道を拓く力は宿り得ない!
過去を責め、互いを貶しあうのではなく、国や故郷、そして世界を、より誇れる宇宙船に変えるために、これからを生きてゆきたい・・・

いや、そのように生きてゆく強い決意を新たにした。


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