診察室に入ってくるなり、その方はスマートフォンを差し出しました。
「先生、これ見てください。
AIに聞いたら、“この症状はこの病気の可能性が高い”って」
画面には、よく整った文章が並んでいました。
過不足なく、論理的で、どこか安心感すらある文章。
きっと、それは“正しい”のでしょう。
「なるほど、よく調べていらっしゃいますね」
そう答えながら、私は少しだけ考えていました。
この情報で、この人は安心したのだろうか。
あるいは逆に、
不安が、より“はっきりした形”になってしまったのではないか。
AIは、正確な情報を提示します。
膨大な知識をもとに、矛盾の少ない答えを導き出します。
それは、医療にとって大きな力です。
診断の補助、情報の整理、標準治療の提示。
間違いなく、これからの医療に欠かせない存在です。
でも、診察室で向き合っているのは、
“情報”ではなく、“人”です。
同じ症状でも、
「とにかく原因を知りたい人」と、
「大きな病気でないと分かれば安心できる人」がいます。
同じ“正解”でも、
それが救いになる人と、
かえって縛りになる人がいます。
「この病気の可能性は、確かにゼロではありません」
そうお伝えしたあとで、私は続けました。
「でも、今のお話や診察の結果から考えると、
すぐに心配しなければならない状態ではなさそうです」
少し間があって、その方は息を吐きました。
「……そうですか」
その一言には、
画面の中のどの文章にもなかった“重さ”がありました。
AIは、“正解”を出します。
でも、その正解が、
その人にとって“受け入れられる形”になっているとは限りません。
家庭医の役割は、
その間に立つことなのかもしれません。
情報を、意味に変える。
知識を、その人の人生の中に置き直す。
ときに私たちは、
診断をつけることよりも、
言葉を選ぶことに、ずっと長い時間を使います。
「大丈夫ですよ」と言うか、
「今は様子を見ましょう」と言うか、
それとも、あえて何も言わずに頷くだけにするか。
その違いが、
その人のこれからの数日、数週間、
もしかすると人生そのものを左右することがあります。
AIが進化すればするほど、
医療はもっと効率的で、標準的で、速くなるでしょう。
それでも、診察室には、
効率では測れないものが残り続けます。
迷い。ためらい。希望。
そして、言葉にならない感情。
医師になったばかりの頃、
私は「正しいことを言う」ことが大切だと思っていました。
でも今は、少し違います。
その人が、「それでいい」と思える形で、
未来を歩めること。
そのために、どんな言葉を手渡せるか。
正解を出すのは、機械でもできる時代になりました。
でも、
その正解で人が前を向けるようにするのは、
きっと、まだ人にしかできない。
正解を出すのはAI。
納得をつくるのは、家庭医。

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