2012年10月30日火曜日

家庭医の専門性と必要性を明確に示す家庭医療の原理

McWhinner 先生が示された家庭医療の原理から、家庭医の専門性を再確認してみよう。

<家庭医療の原理>
1 ある領域の知識、疾患、手技に献身するのではなく、患者に献身する
2 家族や社会など包含する病いのコンテクストを理解しようとする
3 毎回の受診を、予防や患者教育の機会として利用しようとする
4 診療を通じて、リスクの高い住民のことも考える
5 自らを人々の支援や診療にかかわる地域ネットワークの一部と位置づける
6 患者らと同じ地域に住む
7 患者を診療所だけでなく、在宅や病院でも診る
8 医療において主観的な側面や自らを振り返ることを重視する
9 さまざまな有限な資源のマネジメントについて自覚する
McWhinner IR:Teaching the Principles of Family Wedicine. Can Fam Physician, 27:801-804, 1981.
日本プライマリ・ケア連合学会 基本研修ハンドブック 日本プライマリ・ケア連合学会編 南山堂 2012

1を起点に考えれば、家庭医療の専門性を理解しやすい。
勿論、患者に献身的であることは医師としてあたりまえである。
医師である以上、医師は皆、そのことを前提として仕事をしていると信じたいし、実際、各科専門医も勿論患者に献身している。
しかし、各科専門医は、ある領域の知識、疾患、手技に特化して学び、技術を磨くことにより、結果として患者に献身するというプロセスを踏むのに対し、家庭医は、患者に献身するために、必要かつ有用であれば、あらゆる領域の知識、疾患、手技を学ぶし、それがむしろ非効率であったり有害であると判断すれば、その部分に関しては然るべき専門医に委ねる。
そういう意味で、たとえ生み出す結果や仕事の内容は見かけ上 同じであっても、アプローチの方向は真逆なのである。
患者に献身することが起点であることで、副次的に他のどの専門科よりも磨かれやすい技術もある。
それは臨床推論のスキル、つまり診断能力である。
未だ疾患領域が不確定の患者の訴えをもとに、あらゆる健康問題の原因を診断していくことは、家庭医に不可欠なスキルであるし、腕の見せ所でもある。
しかし、忘れてはいけないことは、それはあくまでも患者に献身するためであるということ。患者に献身するためにそれが必要かつ有用であるからこそ、家庭医は診断学を大事にするのであって、それ自体は家庭医療の専門性の本質でもなければ目的でもない。

とかく、難しい疾患の診断ができることが優れた家庭医であるように誤解され、時に、その能力がもてはやされることもある。
もちろん、優れた診断能力は、優れた家庭医の必要条件ではある。
しかし、それは医師である以上、患者に献身的なのがあたりまえであるのと同じように、優れた診断能力を志すのは、家庭医にとってあくまでも必要条件にすぎない。
診断能力。
それは家庭医に求められる重要な能力ではあるものの、家庭医に求められる能力のほんの一部であり、患者に献身するための手段の一つにすぎないことは認識しておかなければならない。

しかも、家庭医療の原理の2以下の項目は、患者に献身することにとどまらず、地域全体に存在する患者予備軍へのアプローチを、家庭医を含む地域住民みんなで行なうことで、疾病予防も実現し、更に常に改善を繰り返していくという、実に実に深~い内容となっている。

自分にこれらが実践できているとは思わないが、少なくともやれるように準備している。
やったことが無い手術を“ぶっつけ本番”でやりながら覚えることが許されないように、家庭医療もまた“ぶっつけ本番”でやっていい、もしくはやれる医療ではない、深く重い専門性をもった医療の領域である。
当然、実践するための周到な準備は不可欠だ。
にもかかわらず、我が国には家庭医療を修得することができる適切な研修の場が殆どない状態のまま長年放置してしまったという残念な歴史がある。
プライマリ・ケアの多くを担われている多くの個人開業の先生方は、ちゃんとした研修プログラムが無い中、“ぶっつけ本番”に近い形で地域医療を実践しながら、個々人のご努力で地域医療を支えてきた。
とはいえ、いざ急病となれば、その軽重にかかわらずかかりつけ医をスルーして病院に直行ということもまったく珍しくないし、病院の医師はその状況に疲弊し、止むを得ず“ぶっつけ本番”の開業という道を選択し、残った病院の医師がさらに疲弊していくという不幸なスパイラルに陥っている今の日本の地域医療崩壊の現状を鑑みると、これからもずっと今まで通りで良いかは、敢えて言うまでもないだろう。

「病院勤務医が不足しているのだから、もともと余っている開業医(家庭医)をこれ以上増やす必要は無い!」という意見を耳にすることがある。
しかし、地域医療のベースとも言えるプライマリ・ケアを充実させることなく、病院勤務医を増やしたとしても、付け焼刃な対症療法以外のなにものでもない。
そもそも、人は自分の使命を自覚した時、頑張れるのだと思う。
それは医師も同じ!
軽症にもかかわらず、かかりつけ医をスルーして病院に直行してくる患者さんを、毎日毎日診続けることに使命感を燃やすことができる病院の臓器専門医がいるとすれば、それはよほど悟りを開いた聖人といえよう。

もしも、家庭医療の原理に基づいた医療を提供する医師が自分のかかりつけだったとして、かかりつけ医に相談することなく他の医療機関を受診することが、果たしてあるだろうか?
そうやって、どの医師も持ち場を守り、それぞれの持ち場で使命感を持って働くことができることが、医療を提供する側、利用する側双方に生きがいと幸福をもたらすことになる。
家庭医療の原理に基づいたプライマリ・ケアを提供できる医師の養成が、この国には不可欠であると確信する。

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