2011年12月19日月曜日

福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース第2回 後期研修修了祝賀会

20111217日「福島県立医科大学 家庭医療学専門医コース 第2回 後期研修修了祝賀会」がおこなわれた。

今回、送り出された2期生は、実は今年3月に研修を修了していた。
4月からは、すでに福島県内各地で私らの指導医仲間として活躍している。
震災の影響で、遅ればせ(9ヶ月遅れ)ながらの祝賀会!

道なき道を拓き、道を創り、歩んでは傷つき、それでもその度に、より逞しく成長してきた彼らの研修修了は本当に嬉しい。

今の福島で、すべてにおいてPositiveを維持することは不可能である。
Negativeでも構わない。
肝心なのは・・・
Negativeな状況下だからPassiveになるのではなく、
Negativeな状況下であっても常にActiveに、自分の使命を見つけ可能性を伸ばして欲しい!

教授の祝辞である。

それにしてもみんな良い顔している。

彼らの家庭医療に対する並々ならぬ熱い想いと、これまでの努力は、いつか必ず大輪の花となり、実を結ぶことを確信している。

2011年12月18日日曜日

第67回Family Medicine Resident Forum in 郡山 ~混合診療の是非~

20111217日「第67Family Medicine Resident ForumFaMReF in 郡山」がおこなわれた。

メインプログラムの Reflection of the Monthでは
レジデントのU先生が混合診療に関する基礎知識や議論のネタを提示してくれた。
様々な立場からの意見を丁寧に検証していてとても感銘を受けた。

混合診療導入に賛成か?反対か?

いずれを選ぶにしても、一対一の因果関係は出にくいであろう問題・・・
これまでは、自分の中でいまひとつピンとこなかったこの議論。

混合診療導入で、医療の質はどうなるだろうか?
最新医療が活性化し、治療の選択肢が増える一方で、根拠のない治療が蔓延しやしないだろうか?
受けることのできる医療の格差が更に広がりはしないか?
公的医療費削減の動きが高まる一方で総医療費は増大するのだろうか?

レジデントによる示唆に富む持論の展開を通して、今まで腑に落ちていなかった何かが少し消化されたような気がした。


私が感じたこととして・・・
混合診療を推し進めるにせよ、しないにせよ

①真に保健適応とすべき診療内容を客観的データを基に適切に選定・仕分けできるシステムの確立
②診療内容を決定・実践していく上で、質の高い患者中心の医療の方法正確に理解し実践できる医師の確保

この2点をクリアしない限り、今より良くなることはあり得ないように感じるし、逆にこれらが解決すれば、混合診療を導入しても、しなくても、少なくとも今よりは事態は改善するように思う。
そのためには、質の高いプライマリ・ケアの提供体制と、プライマリ・ケア設定で日常診療ベースの質の高い臨研究は不可欠である。


このことを先延ばしにしておいて、混合診療の是非を議論しても、本質的な解決に寄与しない。


患者さんや医療従事者を右往左往させるような付け焼刃な政策はもう沢山!
積み残し続けてきた宿題に、もういい加減 本気で取りかからないと、超高齢化社会への対応が完全に間に合わなくなる。
つまり・・・結局のところ・・・

先ずは「国をあげた家庭医の育成が急務である!」ということを強く主張したい

2011年12月9日金曜日

御当地〇〇〇と家庭医

御当地モノには妙な愛着を覚え萌えてしまいます。

今回は、いわき御当地ヒーロー「ジャンガラー」といわき御当地アイドル「トトル」を紹介します。

いずれもいわきが大好きなお2人!
(単位が人で良いかは定かではありませんが…)

「地域密着でいわきを元気にしたい」
という熱い想いが伝わってきます。

地域密着で思い出しましたが、福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座は、一般的な大学の教室とは異なり、主たる活動の拠点を、大学病院ではなく県内各地の研修協力医療機関(主に診療所や中小病院)においています。
これは、本学が提案する「ホームステイ型医学教育研修プログラム」のコンセプトである「地域で生き、地域で働くことのできる新地域医療人の育成」に基づいています。

「地域密着で地元を元気にしたい」という熱い想いは家庭医も一緒!
そんな共通の想いが、私を熱く萌え上がらせるのかもしれません。
「ジャンガラー」と「トトル」(いわきラトブHPより)

いわき御当地ヒーロー「ジャンガラー」
(情報元:いわき青年会議所HP、福島県HPなど)
http://www.pref.fukushima.jp/iwaki/sougou/sinkoukyoku/kikaku/jyanngara.pdf

サンシャインいわきに不死鳥のごとく降り立った風雲児

<特徴>
・額の部位にシーラカンスの護りがあり、顔や身体のデザインがシーラカンスをモチーフにされている(シーラカンスはアクアマリンふくしまで世界的な研究がなされている)
じゃんがら念仏踊りから生まれた、悪い敵を打ち倒すばち
・どんなやつにも負けない、鋼のような肉体
・すごいパワーの手甲
・古里を守るという決意を秘めたハート
・じゃんがら念仏踊りによって生み出された、どんな攻撃も跳ね返すたすき
・しなやかでつよい足腰

<必殺技>
念仏ファイヤー

<最強の敵>
デレスケ―&ホロスケ

<出動要請先>
970-8026 福島県いわき市平字田町120 LATOV(ラトブ)内7F 702
いわきJC(青年会議所)事務局 TEL0246-24-0780 FAX0246-25-7110


いわき御当地アイドル「トトル」
(情報元:TOTOLのブログ: http://www.totol.jp/

<いわき駅前ラトブのコミュニケ―ター>
ラトブの楽しさ伝え、ラトブと利用者をつなぐ架け橋となることが使命。
主に土日にラトブで目撃されているので週末にラトブに行くと会えるかも…

その他、FMいわき“SEA WAVE”の番組「トトルのラブ❤ラブ❤ラトブ」が
ラトブ三越いわきサテライトスタジオより生放送されています。

<名前の由来>
「ラトブ」から「ト」をとると「ラブ」
トをとって(トトル)「ラブ」を運ぶために生まれたそうな・・・

2011年12月2日金曜日

完成! 福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座 ロゴマーク

ComFaMのロゴマークが完成しました。
ComFaMとは、Community and Family Medicine (地域・家庭医療)の略称で、福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座の愛称です。
ロゴマークの中心にいる家族を取り囲む輪は、Communityの頭文字のC を形どっています。 
そのCommunity 全体のBackgroundに福島県があるという構図です。  
Community の中でみんなで手を取り合って上に向かっているのと、 Cの中全体が笑顔に見えるのは、福島県や日本における家庭医療の明るい未来の象徴です。 
使用色の青・緑・薄紅は、福島県の豊かな自然(水・草木・桜花や桃)のイメージです。
愛する福島で家庭医療を発展させていきたいです。 




2011年11月26日土曜日

第2回 明日の家庭医療後期研修プログラムを考えるワークショップ「学会認定制度の今後の進め方」

今日は東京へ出張。


つまり、日本プライマリ・ケア連合学会が主催する、将来の国民の健康に影響するかもしれない重要な話し合いの場。

早起きは三文の徳と言うが、この時期5時起きだと真っ暗なのね!
犬の散歩中、天上に超クリアな北斗七星が拝めた。
思えば、震災以来初「スーパーひたち」
磯原で太平洋から顔を出す美しい日の出を拝むこともできた。
日本における家庭医療の明るい未来の兆しであることを祈りたい。
さて、やる気満々で会場に到着。
学会の中で理想の家庭医を育てていくことに熱意をもっている多くの先生方との議論に触れ、嬉しくもあり、課題の多さに途方に暮れもした。
しかし、理想の家庭医を育てるための第一歩として先人の苦心の末に誕生した旧日本家庭医療学会の家庭医療専門医後期研修プログラムの作成過程を紹介していただき、今後も国民のニーズに応えることができる医療の提供を目指してプログラムを改定していく必要があると強く感じた。

2011年11月25日金曜日

東日本大震災に学ぶ地域医療再生 ~かしま病院を拠点とした医療支援の経験から~

 私が所属する福島県立医科大学 医学部 地域・家庭医療学講座は、一般的な大学の教室とは異なり、主たる診療・教育・研究の拠点を、大学病院ではなく県内各地の研修協力医療機関(主に診療所や中小病院)においています。これは、本学が提案する「ホームステイ型医学教育研修プログラム」のコンセプトである「地域で生き、地域で働くことのできる新地域医療人の育成」に基づくものです。
激震後の医局 ※いつもの様子ではありません!

 私は、震災急性期にいわき市に常駐し、当講座の研修協力病院であるかしま病院を診療の拠点とした医療支援を行いました。いわきの地域医療の現場を見てきた経験を振り返りながら、地域医療再生を実現するための、現時点での私の考えをまとめたいと思います。

かしま病院における震災急性期
311日>
 発災直後に患者・スタッフの安否確認をおこない、人的被害は落下物による軽傷者数名のみでした。建物は外壁の破損・落下、棟間のねじれによる壁、通路、階段の亀裂が確認されましたが、建物全体の構造上の問題はなく使用可能でした。しかし、手術棟内部の亀裂が甚大で手術室は実質使用不可能となり、また、配水管・貯水槽の破損のため予定備蓄水量の半分以下と判明し、以後およそ1ヶ月に及ぶ断水による影響が不可避となりました。
電話回線が混雑し、高度救命救急センターをはじめ近隣の医療機関や消防署、市災害対策本部、市医師会などとの通信がほぼ断絶した状態の中、付近住民が心肺停止患者(溺水によるもの)を自家用車で搬送してきたのを皮切りに、津波による傷病者が次々と搬送されました。ホットラインを用いた救急隊との連絡すらままならないため、応需可否にかかわらず事前照会なしでピストン輸送が延々と繰り返される状況でした。救急車両だけでなく、住民の自家用車や商用車、消防車両などによる搬送が続き、軽外傷、パニック発作、過換気症候群、中等症の外傷、重篤な多発外傷、低体温症、中等症の溺水、重篤な溺水の順に患者が増え、発災当日は50名強の救急患者が搬入され、13名が入院、18名が帰宅困難で院内に留まりました。(カルテが存在しない症例も多数あり正確な受診実数は不明)
312日~14日>
 断水・貯水槽の損傷・院内配管障害のためトイレ・入浴等の衛生管理が不可、手術室使用不能・医療機器消毒不能、検体検査の大部分と内視鏡検査が施行不能、血液透析が施行不能という状況が続く中、救急車応需数は120台を超え、救急搬入患者数が通常の3倍程度となりました。急場を凌ぐために通常外来を閉鎖して救急のみ応需、病棟数を通常の5病棟から3病棟稼働に減らし機能を集約しました。それでも職員の確保は困難を極め、大幅な勤務体制の変更、職員用宿泊所増設・院内仮設託児所増設などで対応しました。リハビリテーションの休止など病院機能制限で手のあいた職員は総出で飲料水の確保にまわり、患者給食は12回に制限。籠城さながらの体制に入っていきました。
市内に目を移すと、福島第一原子力発電所の事故に伴う生活不安、ガソリンを含む生活物資の流通停止、避難指示の錯綜、未確認情報の氾濫、住民の大量避難が始まり、介護施設の集団避難、医療・介護施設の閉鎖・縮小、市独自の避難勧告などで行き場を失った自力移動困難者が次々に救急来院し、避難所からの来院も増加しました。かしま病院でも江名・永崎・中央台地区を中心に近隣の避難所への医師の巡回を独自に開始しましたが、いわき市全体では一時およそ9割の診療所が診療を継続できなくなっていたとされ、必然的に医療・介護難民が多数発生し、まさに地域のプライマリ・ケアが破綻した状態に陥っていました。
315日>
 いわきコミュニティーFMの情報をもとに、原発事故による避難区域内の病院からの一時待避所となっていた県立いわき光洋高校を緊急訪問。寒い体育館内で既に多くの高齢者が脱水や低体温などにより極度に衰弱し、必死の補液・加温にもかかわらず次々に亡くなっていく惨状に直面することになりました。各災害対策本部や市保健所、市医師会・災害支援医療チームや各医療施設間で迅速かつ正確な情報共有が出来る体制が整っていなかったことが招いた悲劇といえるでしょう。
そんな中、原発事故に関連した状況悪化を懸念した理事長から非常事態宣言が発令されました。ガソリン不足や交通機関の麻痺で病院運営に必要な職員確保ができなくなり、医療・衛生環境の保持や食料供給も困難になっていたのです。病院機能を更に集約し、コア・スタッフと自主的に残った職員で当番制を引き、残りは自宅待機(一部避難)、勤務継続可能な常勤医師数は21名から一時13名まで減少し、地域のための医療機関としての役割を全うできなくなりました。
316日~27日>
 ほぼ毎日同じ職員が泊まり込みの交代勤務にあたる中、残った職員間では強い連帯感が生まれていました。一方、避難ないし待機職員に対する批判も少なからず生じていました。理事長は全職員に向けてパブリック・コメントを出し、働いてくれている職員をねぎらう一方で、協力が困難な職員に対しても、状況の安定後の出来る限りの協力をお願いしていました。

液状化した地盤

328日以降>
 通常の診療業務を再開。この頃にはリクルート面への影響も明らかになり、医師新入職のキャンセル、常勤医の退職、非常勤医師の撤退、看護師やリハビリスタッフの予定外離職が相次ぎました。しかし、理事長のパブリック・コメントが奏功したのか、職員数は徐々に発災前に近いレベルまで回復し、震災急性期に病院に残った職員と、自宅待機(一部避難)していた職員との温度差も最小限に抑えられたようです。

震災で浮き彫りになった地域医療システムの脆弱さ
 今回の震災では阪神・淡路大震災や新潟県中越地震などとは異なり、犠牲になられた方々の多くは津波による溺死で、地震そのものによる建物損壊で重い外傷を負った患者さんは比較的少なかったことが被災地の各中核医療機関から報告されています。いわき市でも Japan Medical Assosiation Team(以下、JMAT)をはじめ全国から多くの医療チームの支援を受けましたが、災害発生後数日で外傷への急性期対応は一段落しました。私もJMATに加わり避難所巡回をしましたが、その後の医療ニーズが、交代制で被災地を巡回する災害支援チームの医療に徐々に馴染まなくなっていくのを強く感じていました。勿論、通常の医療システムが機能しない中、災害支援チームの活動が避難者の健康管理に寄与したことは言うまでもありません。その一方で「たびたびお医者さんに診てもらえるのはありがたいけれど、毎日違うお医者さんが来て、それぞれ違う薬を置いていくから、どれを飲んだらいいかわからない」「何度も始めから同じことを話さなければならないのが辛い」といった声が避難所で頻繁に聴かれました。避難所の方々や地域住民は散発的な医療支援ではなく継続的に診てくれる“かかりつけ医”を求めていました。
地域医療を円滑に提供するための条件として、地域の診療所の医師と病院の各科専門医との良好な連携は最も重要な要素といえます。震災急性期のいわき市においても、軽傷患者のケアや慢性疾患の継続的管理、および疾病予防のための生活指導などを担うべき地域の診療所の医師の役割はきわめて重要でした。
 しかし、実際は地域の診療所の多くが診療を継続することができなくなり、地域医療を守るネットワークとして機能しなくなりました。その結果、多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフは疲弊してしまい、本来病院が担うべき役割を果たすことが困難になりました。そういった影響は、かしま病院のような中規模病院にも少なからず押し寄せていました。
それでは、診療所の多くが診療を継続することができなくなった理由は何でしょうか?通信が断絶して診療所毎に個別に入手できる情報が限定されたことや、原発事故の影響で支援物資の物流が滞り、訪問診療・訪問看護はおろか職員の通勤や基本的生活すらままならなくなったことは、診療所のように交代要員の少ない小規模な医療機関にとって大きな痛手となったのでしょう。診療所の約8割が個人開業という今のいわき市の地域医療体制がいかに災害に対し脆弱であるかを痛感しました。

日々繰り返される震災急性期類似の地域医療崩壊
 個人開業の診療所が多いことの弊害が浮き彫りになるのは実は災害時だけではありません。多くの人々が直接病院へ殺到し、病院の医療スタッフが疲弊してしまうという状況は、いわき市に限らず今の日本において災害時限定の特殊な問題ではなく、もはや毎日のように起きている重大な社会問題と言えるでしょう。
診療所の医師のほとんどが個人開業している現状では、たとえかかりつけの患者さんであっても、1人の医師で24時間365日対応できる体制を整えることは現実的ではありません。それでも医師がプライベートを犠牲にしていつでもかかりつけ患者と連絡がつく体制を整えている場合や、いわき市医師会のように休日夜間急病診療所や休日当番医を設けている場合がありますが、地理的な制約・診療時間の制約・診療内容の制約などが足かせとなって、結局、休日や夜間には患者さんが直接病院に殺到しやすい現状です。

震災に学ぶ地域医療再生
 いわき市内のいくつかの医療機関や福祉施設などで、震災急性期に勤務を続けていた職員が、自宅待機ないし一時避難していた職員を未だに批判しつづけているという話を耳にします。しかし、そういった行動は、葛藤の末に戻ってきてくれた職員の傷心に追い打ちをかけ、結局いわきを去ってしまうという悪循環を生みかねません。止むを得ない事情で勤務を続けられなかった職員、そして止むを得ない事情で地域における役割を全うできなかった多くの診療所やかしま病院を含むその他の医療機関を批判することよりも、私たちは今、限られた医療資源を総動員して、地域医療を支えていく姿勢が問われています。深刻な物資不足に陥ったかしま病院を救ったのは、奇しくも病院を案じながら自宅待機していた職員からの支援物資でした。何もしない人を批判するのではなく、何かしたくても何もできないでいる事情や立場を理解することから次の一歩が踏み出せるのだと思います。
 私は、個人開業の多くの先生方が、ご自身の“かかりつけ”であれば診療時間外であっても可能な限り診療したいと考えているし、条件さえ揃えば実際にそうされていることを知っています。病院勤務医もしかりです。一方で、前述のとおり1人の医師で毎日24時間対応できる体制を整えることは現実的ではありません。やりたいのにやれないもどかしさを解消し、医師一人ひとりの「いわきをなんとかしたい!」というエネルギーを集約し、具体的な行動と成果につなげられるよう、医師会のリーダーシップのもと、これまで以上に実効性の高い強固な医療連携システムを全員参加で早急に構築することが望まれます。いわき市医師会が信頼と絆で結ばれた強固な医師団に生まれ変わり、震災を経験したこのいわきの地で、全国に先駆けた地域医療再生が実現することを願ってやみません。

2011年11月20日日曜日

目指せ!東北の家庭医 ~第2回 家庭医療レジデント・フォーラムin東北~

昨夜(FACE)の興奮も冷めやらぬ中、530分起床で仙台へ移動。
昨日のローカル鈍行列車と対照的な新幹線の実力をまざまざと見せつけられながらあっという間の瞬間移動。

スケジュール
9:051020 後期研修プログラムの紹介
・青森県民主医療機関連合会 家庭医療後期研修プログラム
・盛岡医療生協 家庭医療後期研修プログラム
・宮城民医連家庭医療・総合診療後期研修プログラム
かけだしの分野の研修プログラム。
どこも動き出したばかりで苦労が多いようだ。
けれど、互いの長所を活かし補完しながら協力して大切に大切に育てていきたい。

10:30~教育講演「診療・研究に生かすプライマリ・ケア分類」
日本プライマリ・ケア連合学会 副理事長 山田隆司先生
プライマリ・ケア国際分類コード(ICPC-2)を用いた診療と研究の考え方を学んだ。
コードの入力の手間という問題の解決と、ICD-10との互換性を活かしたデータ管理などが普及すれば、有用性が高まるだろうと感じつつ、実用化には様々な壁もありそうだ。

11:5014:20教育講演「家庭医のアタマの中を見てみたい」(地域・家庭医療学講座)
診療シーン(ロールプレイ)のビデオクリップを用いて「患者中心の医療の方法」について活発な議論がなされ、深い理解につながった。
今年の夏期セミナーでも主に学生を対象に開催したワークショップだが、対象がシニアになるとディスカッションの内容がガラリと変わって興味深かった。
考えれば考えるほど深~いです。
14:3015:00Reflection of the Month
福島医大 地域・家庭医療学講座 後期研修医早坂啓伸
「認知症グループホームにおけるターミナルケアの経験から」
グループホームでの看取りについての問題点と必要性などについて提示され、我が国における終末期医療の将来の展望も含めた議論がなされた。

15:0015:30Cinemeducation
地域・家庭医療学講座 主任教授 葛西龍樹先生
「家庭医療は自分(医師側)も振り返る医療でもある」という教授の言葉が印象的だった。
映画の一部分を観て様々な想いをめぐらすことは、医療面接から得られる限られた情報から患者さんの背景に隠れている病気の体験を推察するトレーニングになる。

「グッドナイト・ムーン」

継母との関係に悩む二人の子供が出てくるかと思いきや、いきなり相撲中継が流れて驚いた。
それはともかく、家族からの愛情、家族への愛情…
家族って奥が深い。

15:3516:30まとめ「目指せ!東北の家庭医」
午前のプログラム紹介などをふまえ、問題点の抽出をした。
やはり、いかに共に学ぶ仲間を増やしていくか。教育を充実させていくか。研究を進めていくか。
すべてのプログラムが知恵と力を合わせ、家庭医を目指すすべての東北の研修医が、より良い環境で学べるようにしていく努力が求められている。
それが仲間を増やす近道になるはずだ。