2012年10月18日木曜日

なりたい医師への道を貫くこと

私は幸せな人間である。

やりたい仕事をして、言いたいことを言って、飲みたい物を呑んで生きている。

自分が本当にやりたいこと、それは・・・
身近な人たち、もっと言えば、日頃お世話になっている地域の皆さんに、医療と言う形で恩返しすること。
できることならば、あらゆる健康問題に対応したい。
専門外だから相談にのれないようなことはしたくない。
これが、自分にとっての、あたりまえでありふれた普通のお医者さん。
そんな医者になれたらいい。

そして、それを実践できるのが家庭医。

そう確信するからこそ、自分は今この道を歩んでいる。

医師を志すきっかけは多種多様であろうが、医師を目指した時の、なりたい医師のイメージは大雑把に分けると3通りなのではないだろうか?

① 神の手を持つスーパードクター(財前五郎 etc.)
② 身近な存在の町医者(梅ちゃん先生 etc.)
③ ①と②を兼ね備えた超人(Dr.コト― etc.)

孤島で心臓血管外科の手術をやってしまう③はさておき、自分がなりたい医者のイメージは、間違いなく②である。
そして、おそらく②をイメージして医師を志すことは案外多いように思う。
もちろん、①や③をイメージして医師を志したのであれば、トコトン追究して欲しいし、神の手やヒーロー・ヒロインを目指すべきだ!
むしろ私が残念に思うのは、②をイメージして医師を志したのに、いつのまにか①や③を目指すようになるケースがあまりにも多いこと。

これは、今の日本の医学教育制度に問題がある。
医学教育の現場に、②のような医師がほとんど存在しないのだ。
なぜなら、卒前医学教育の大半は大学内で行なわれるから。
憧れていた医師像は、大学のどこを探しても見当たらない。
大学病院に町医者のモデルがいないのは当然だが・・・

医学生たちは、①を目指す大学病院のお医者さんたちに囲まれながら、医学部の6年間をかけて、ゆっくりじっくりと②のイメージ、志していたはずの理想の医師像を徐々に忘れてゆくのだ!
そしていつしか②の医師のイメージは、①を引退した後に余生を過ごすためにやる仕事という位置づけに成り下がってゆく・・・
まるで、引退した野球選手たちが監督・コーチや解説者にまわるように、町医者は第一線を退いた後でも簡単に務まる程度の容易い仕事だと思って、それをしている医師がいるのも残念ながら事実である。

プロ野球OB戦も味があって面白いが、どうせお金を払って観るのであれば、やはり現役の真剣勝負が観たいのが当然!
それに自分の命がかかっていればなおのこと、本来のパフォーマンスができなくなったので仕方なく町医者をやっている医師と知っていて、命をあずけることができるチャレンジャーな患者さんはいないだろう。

「町医者は医師の余生ではなく人生そのものである」

こんな風に、胸を張って言えるほど、真剣勝負で質を担保していく姿勢を、利用者にも理解できる形で明確に示さない限り、患者さんの受療行動が病院志向になるのは当然なのである。

もう一度述べる。

私は幸せな人間である。

②を目指して医師を志し、そのまま②への道を歩み続けることができているから。
迷うことなく、なりたい自分を目指せる幸運に感謝しながら・・・

つまづいた時、私は自分に問いかける。

「もともと何がやりたかったのか?」

そして、もともとやりたかったことをやり続けている自分を再認識した時、また歩き出せる。
そこに、やりがいと役割を実感できるから。

今の自分のもうひとつの重大な責務は、大学に潜伏する前代未聞な町医者として、自分と同じように幸せな医療人を増やすこと。
①でも②でも、天才的な人なら③でもいいから、原点を忘れないこと。
原点を貫くことができることは最も幸せなことである。
幸せな医療人が増えることは、その何千倍もの幸せな患者さんを増やすことに等しい。
だからこそ、なりたい医師像、自分の理想を簡単に捨てないで欲しい。

なぁ~んてことを独り呑みながら考えている単身赴任な夜。

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