2011年11月13日日曜日

国際会議「ふくしま会議2011」 いのち:こどもの今、そして未来

国際会議「ふくしま会議2011
<ふくしま会議HPより>
福島の声を届けることも聴くことも、日本にとって、世界にとって、すべての人々にとって、未知の課題と向き合う力になります。
様々な意見を集約し、それぞれの人がそれぞれの答えを持ち帰る。
「ふくしま会議2011」は、福島の人々が、いま聞きたい話を聞き、いま語りたいことを語る場所です。
日本や世界から有識者たちを招き、福島県のこれまでとこれからを語る場所です。
内外の英知を福島に結集することで、放射能の不安や、故郷の再生に立ち向かう市民の疑問に応え、ときには車座になって直接語り合う。
明日への希望を見い出し、一つ一つのアイディアを実行に移していくこと、 そして、福島の声を世界に届けていくことを目的として、このたび福島の地で開催します。

福島で生きる。世界と生きる。
草の根から湧きあがる会議をしよう。届け世界に

私たちは信じています。
多様な出会いが声を生み、声が広がり、行動が生まれる。



今日は「ふくしま会議」3日目(最終日)

2日目の昨日、分科会 「いのち:こどもの今、そして未来」に参加した。
未曾有の原発事故により福島の人々は放射能汚染と向き合わざるをえない状況に追い込まれ、根底から一変した暮らし。
8
ヶ月たった今、前向きに生きようとする多くの福島の声が生まれている。
それらの声は、ときに小さく、ときに一部の人たちの間でしか共有されていない。
人々のいのちと暮らしを守るために、これらの声が集まり交流する場、そしてその様子を県内外、世界の多くの人々に届ける場が求められている。

ベラルーシ共和国 ゴメリ州 ベトカ地区(チェルノブイリから150㎞のホットスポット)病院長 ジミナ・ナジェージダ先生から、将来の発がんの不安によるストレス、避難生活そのもののストレスへの対応の重要性が伝えられた。一旦は非汚染地域に移住した人々も、種々のストレスに耐えられず、その多くは故郷に戻ってきているという。チェルノブイリ原発事故から25年経過し、ストレスを最小限に抑えることが、結果的に事故による健康被害を最小にすることができることを実感されている様子だった。ストレスを減らす具体策として、徹底した食糧の安全管理、ショートステイ的保養(避難ではなくて保養と称していた)の有用性が示された。ベトカ地区では年2回×2ヶ月の保養を政府が援助しているという。

今、私の目の前には、「避難する?」「避難しない?」という葛藤に苦しみ、深刻なストレス下にいる人たちが大勢いる。
我が家も含め、程度はまちまちながら、避難を選択した人も、避難しない選択をした人も、いずれも相当のストレスを感じている。
本当はどのレベルから避難すべきなのか?保養が必要なのか?
サイエンスを扱う医師として、そういった人たちに明確な根拠をもって伝えられる結論を、未だ持っていなかった自分に、無力感と後ろめたさをもっていた。

しかし、ためらいつつ放射線のリスクと対峙することは至極当然の反応であり、少なくとも今は、画一的な回答が必ずしも住民の安心に直結しないことを実感した。
現時点ではまだ「分からない」ことが多過ぎるし、答えはまだ「ない」し、画一的な答えを「決めてはいけない」と感じた。
これまで、「心配ない」旨の根拠を探し、安心を伝えようとすればするほど、意に反し、相手の心が遠ざかっていく感覚をおぼえていた。

これからは、どんな小さな不安も、先ずは真っ向から受け止めていきたい。
(考えてみればこれは“患者中心の医療の方法”の基本中の基本なのだが…)
そんな今すぐにできる小さなことを、ずっとずっと続けていく覚悟と決意を、
セッションを終え、いわきに持ち帰った。

最後に、印象深かったフロアの意見(福島市在住)をサマライズしておく。
「ふくしま」の多くの人たちはこの8ヶ月間、悩み傷つきながらも、氾濫する情報の中から有用なものを選別し、どんな状況下でも不要なパニックを起こさない強さと、ここで生き抜く知恵を身につけてきた。パニックを恐れて情報を操作する必要はないし、もしもそういった行為がおこなわれるとすれば、それは「人権侵害」と「侮辱」以外のなにものでもない。

このセッションの模様は、1123日のNHKアーカイブスで紹介される。

シリーズ原子力③ チェルノブイリの教訓
総合テレビ/1123日(水・祝)午前1005113489分)
ふくしま会議が開かれる福島大学にて、現地収録。

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