2013年11月28日木曜日

復興まちづくり講演会 ~陸前高田市・なつかしい未来創造株式会社の挑戦~

今日は、福島県復興まちづくりエキスパート派遣事業として、超高齢未来を考える取り組みをしている福島県いわき市鹿島地域に、陸前高田市で「なつかしい未来創造株式会社」を設立し、ご活躍中の 田村滿 先生をお招きしてご講演を拝聴した。


お話を聴いて、どんな過酷な境遇にさらされようとも、利他的にふるまうことができる文化と資質を備えた日本、日本人に生まれ育ったことへの誇りと感謝の気持ちを新たにした。

そして、壊滅的な被害を受けた陸前高田市においても、その状況に適応し、柔軟な発想と想像力でより良いまちづくりをしていこうという取り組みを紹介していただき、深い共感を覚えるとともに、今いわきで生きる私たちだからこそ発信できることを、もっともっと発信していきたいと強く思った。

私は医療というものを、疾病をかかえた緊急時だけ利用する特別な存在としてとらえて欲しくない。
お寺が、誰かが亡くなられた時に故人を成仏させてもらうためだけに存在する場所ではなく、時に近所の子供たちがかくれんぼや鬼ごっこをなどをやりにくる場所であるように・・・

超高齢社会では、医療はもはや生活の一部になっていくであろう。
であるならば、いつどこにいても身近なところに医療が転がっている必要がある。
医療が生活の一部であるかのように、常に我々の生活を見守ってくれる存在として・・・

「医-職-住」一体となった改革・整備・創生。そしてその実績を全世界に発信していくことこそが、今ここに生きる私たちの使命である!

そうやって、人を思いやることができる子供たちを育み、争いや憎しみや怒りから解放された国家として世界をリードする日本を残したい。

2013年11月24日日曜日

家庭医として地域ケアに関わるということ ~第88回 FaMReF@喜多方市 地域・家庭医療センター~

月例の家庭医療レジデントフォーラム
本日のメインテーマは地域ケア
セッションの担当教官は高栁先生

データだけでは見えてこない、診療して初めて見えてくるもの、地域に住んで初めて理解できるニーズがある。
高栁先生のキーメッセージから、地域完結型の医療の提供が厳しい状況になっている いわきの地域ケアの構築に向けてのヒントをもらった気がする。
地域に住む家庭医としてできることを、想像力・発想力を高めながら見きわめて行動していきたい。

いつやるか? 今でしょ! by Hiroshi

昼食は喜多方ラーメンと並ぶ、会津のソウルフード、ソースカツ!


午後は家庭医療研修医らの振り返りから、医療機関を訪れない地域住民のケアをどうするか?
日常診療だけで多忙な中、予防医療・健康増進への介入について、実際に何ができるか?
みんなで意見を出し合った。
確かにみんな多忙な中、優先度と効率性を重視してできることから地道にやっていこうということになった。
私も実現可能な路線で、まずは近隣に目を向けてみようと思う。
かしま地区での試み「2030年 超高齢未来を考える会」などを良いきっかけにしていきたい。

2013年11月21日木曜日

非がん患者における終末期医療 ~家庭医療セミナーinいわき「実践家庭医塾」~

とかく がん患者の疼痛管理にスポットが集中しがちな緩和医療。
しかし、がん以外の原因で亡くなる方は、がんで亡くなる方よりもはるかに多い。
がんよりも予後の悪い、臨床的に悪性な病態を挙げればきりがない。
そういった方々に、いかに穏やかな終末期を過ごしていただき、静かにお看取りさせていただくことができるかが、これからの超高齢社会において不可避な多病・多死に対して、我々医療者に与えられた重大な課題である。

がんの終末期といえば、その後の大まかな転機はある程度予測がつく。
スピードの差こそあれ、少なくとも着実に進行し、やがて死を迎えることがほとんどだからだ。
状態によっては、積極的治療が延命につながらないであろうという判断もしやすい場合も多い。

一方、非がん患者さんはどうだろう?
もちろん、原因が多岐にわたるので一概にはいえないが、明らかにもう限界、いわゆる危篤と判断した患者さんが、翌日には普通に目を覚まして、普通にご飯を食べ始めたりすることもあり、終末期そのものの定義自体、あまりにも曖昧で、そこに求められる判断内容は非常に複雑で不確実性に満ち溢れた世界である。

今日の実践家庭医塾では、臨床研修医のT先生が、そんなモヤモヤした疑問に対する数少ない先行研究などを紹介しながら、非がん患者における終末期医療について問題提起し、その難しさについて示してくれた。

がんであれ非がんであれ、疼痛以外に出現する症状は多彩だ。
特に、呼吸困難・摂食困難は、いかなる終末期にも多くみられ、共通の課題となる。
苦しい原因は何か?食べらなくなったらどうするか?
置かれた環境、患者の想い、家族の状況…
マニュアルにこだわらず、個別に議論して、最善と思われる道を丁寧に探っていくこと。
そういった地道な努力こそが、より良い終末期医療の提供につながっていくだろう。
そして、最期の時をどこで過ごすべきか?という問いへの答えも、個々の状況で自ずと決まってくるだろう。もちろん、在宅だからよくて病院だから駄目だとは限らない。

難しい課題にぶつかった時、我々にとって患者中心の医療の方法がいかに優れた武器であるか再認識させられる。
ただし、これはあくまでも手段なので、結局は、ご本人が、家族や支える人々とともに、より良い終末期を過ごしていただけるよう、医学のプロとして知恵を絞りながら、ずっと寄り添っていく姿勢が大切なんだと思う。
以前にも記載したとおり、終末期というものは、漠然とした暗いイメージとは裏腹に、実はそれは人生の締めくくりであり、クライマックスであるわけで、ある意味 華やかに花道を飾りたい時期でもある。
個別のこだわりや希望・我がままを出来る限り叶えられるようサポートしていきたいと強く思う。