2012年12月21日金曜日

家庭医ってなんぞや? 「地域の皆さんを医学のプロとして愛する人」

家庭医ってなんぞや?

そう問われた時、一言で答えられないのが長年の悩み。

「定義を述べよ!」なんて質問されたらこう答えるかもしれない。

家庭医とは、どのような問題にもすぐに対応し、家族と地域の広がりの中で、疾患の背景にある問題を重視しながら、病気を持つひとを人間として理解し、からだとこころをバランスよくケアし、利用者との継続したパートナーシップを築き、そのケアに関わる多くの人と協力して、地域の健康ネットワークを創り、十分な説明と情報の提供を行うことに責任を持つ医師のことである。

1)家庭医療 ~家庭医をめざす人・家庭医と働く人のために~ 葛西龍樹著 ライフメディコム社より改変



ちょっと面倒なので、石井流に一言に置き換えてみるなら、「地域の皆さんを医学のプロとして愛する人」って感じだろうか?

ちょっとこっぱずかしい表現だし、格好つけてる感じに受け取られるかもしれないが、実は結構 本気(マジ)でもある。

家庭医以外の医師が患者を愛していないという意味ではない。
勿論、患者さんを愛することができる臓器専門医も、地域そのものを愛することができる疫学者もいる。
しかし、地域の皆さんを愛すること自体がプロとしての仕事そのものである医師は恐らく家庭医だけであるし、「家庭医じゃないけど地域の皆さんを愛しているよ」と真顔で言える医師は、既にその地域で立派に家庭医の役割を担っていると思う。

商売人がプロとして愛する対象はお客さん
一般に医師がプロとして愛する対象は患者さん
場合によっては対象がもっとずっと狭く、愛する対象が患者さんの一部(臓器とか細胞とか遺伝子とか)という医師もいるかも知れない。
家庭医がプロとして愛する対象は、それよりもメチャクチャ広角で地域の皆さん

人は愛するために生きている。
つまり、生きることは愛すること!

家庭医として生きるということは、自分の家族も、もちろん自分をも含めた、地域の皆さんを愛するということ。

「愛」とは「思いやり」であり「想像力のこと」
愛があれば、相手が望むことをかなえてあげたいという思いやりが生まれ、
想像力をはたらかせてそれを実現しようとするでしょう。
~瀬戸内寂聴~

寂聴氏の言葉を家庭医の仕事に置き換えると、地域の皆さんを愛しているなら、出来る限り地域の皆さんの望み通りに診てさしあげたいという思いが生まれ、想像力をはたらかせてそれを実現しようとするだろう。
少なくとも先ずは何でも相談にのるだろうし、患者さんの家族や地域の状況を出来るだけ把握して、患者さんのことは病気に関すること以外でも何でも知りたがって、からだとこころをバランスよくケアするだろう。
また、長期にわたり信頼関係を築いて、他に協力してくれる人がいたら、遠慮なく手伝ってもらったり、地域のイベントとかで妙な達成感や一体感で盛り上がったり、自分の愛し方によって得られた結果を真摯に受け止め、いい意味で悪あがきしながら、次はもっと上手に愛したいと願うだろう。

ここまでツラツラ述べて来て、あることに気付いてしまった。

「地域に生き、地域で働くことのできる医師の育成」
これは福島県立医大が提唱する「ホームステイ型医学教育・研修プログラム」のコンセプトであるが、それこそ、「地域に生き、地域で働くことのできる医師」ってつまり「地域の皆さんを医学のプロとして愛する人」ってことだよねぇ~

私が、自分や家族も含む この地域(いわき)の皆さんを、上手に愛することができるかどうかが、私のプロとしての仕事の質に関わってくるし、私自身の幸福にもつながっていくのである。

巷では、本日がマヤ歴の大晦日と言うことで話題になっているが、どこで人生を終えることになっても、死ぬまで愛するために生き続けられたらそれでいいいと思う・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿