今回の大震災では、地震、津波の被害が沿岸部を中心に広範囲に及んだことや原発事故の発生により、さまざまな背景をもった多くの方々が避難を余儀なくされた。特に原子力災害という特殊な事情により、地震そのものでは無傷であったのにもかかわらず、原発避難区域内にいた多くの寝たきり患者さんたちが、食糧も医療資源も不十分な中で急遽集団避難を強いられるという状況が発生した。情報網が混乱し十分な医療支援が到達する間もなく、仮避難所や過酷な長距離搬送の過程で20名を超える犠牲者を出してしまう悲劇となった。
また、今回は阪神・淡路大震災や新潟県中越地震などとは異なり、犠牲になられた方の多くは津波による溺死で、地震そのものによる建物損壊で重い外傷を負った患者さんは比較的少なかったことが被災地の各中核医療機関から報告されている。全国から多くの災害支援医療チームが被災地に入ったが、災害発生後数日で外傷への急性期対応は一段落し、その後の避難所での医療ニーズは、交代制で避難所を巡回する災害支援チームの医療に徐々に馴染まなくなっていった。
そのとき、避難所の方々が私たち医療者に求めていたものとは……。
長期化する避難生活では、かぜや感染性胃腸炎などの感染症対策といった急性期の問題への対応はもちろんのこと、高血圧や糖尿病、不眠症や便秘症などの慢性疾患への適切かつ継続的な管理が求められた。避難所にいる多くの方は、たとえば“余震の恐怖や原発事故の不安で眠れない日々が続いた結果、血圧が急上昇し、それがさらなる不安やうつ状態を招く”といった具合に、日常よく遭遇する健康問題を同時に複数抱えていた。災害弱者と呼ばれる高齢者や持病をもっている方、乳幼児や妊婦さんだけでなく、本来健康問題とは無縁と思われる人たちですら、偏った食生活、過度のストレス環境下で徐々に体調を崩していった。
被災地の通常の医療システムが機能しない中、災害急性期から災害支援チームによる避難所の巡回診療が行われ、避難者の健康管理に寄与したことは言うまでもない。その一方、災害発生後10日を過ぎた頃から「たびたびお医者さんに診てもらえるのはありがたいけれど、毎日違うお医者さんが来て、それぞれ違う薬を置いていくから、どれを飲んだらいいかわからない!」「何度も始めから同じことを話さなければならないのが辛い!」といった声が避難所で聴かれるようになった。
先が見えない避難生活の中、継続性の乏しい散発的な医療支援ではカバーしきれない時期にすでに入っていたのだ。その時期には、避難所の方々は包括的かつ継続的に診てくれる“かかりつけ医”を求めていた。
避難所ではときに、自分のかかりつけの患者さんと偶然出会うことがあった。「無事だった?」と尋ねると「先生、来てくれたの~!!!」と喜んでくださる。しかし、避難所には、かかりつけの診療所自体が被災していたり、原発避難区域内にあるという事情で、当分の間かかりつけ医に受診できる見込みが立たない方が大勢いた。
そんな方々のために、普段のかかりつけ医の代わりに多彩な健康問題に対して継続的に診てくれる医師が必要だった。そして、何よりもその役割を果たしたい一心から、可能な限り近隣の避難所を継続的に訪問した。その結果、元々担当していなかった患者さんからも「先生、また来てくれたの~!」と声をかけてもらえるようになり、新しいかかりつけ医として認めていただけた喜びと、共に歩んでゆく使命感を自覚することができた。
家庭医とは「よく起こる体の問題や心の問題を適切にケアすることができ、各科専門医やケアにかかわる人々と連携し、患者さんの気持ちや家族の事情、地域の特性を考慮した医療を実践できる専門医」である。このことは、災害時においてもなんら変わることはない。むしろ「災害時こそ家庭医の役割がより重要になる!」ということを今回の震災の経験を通して確信した。
医療資源が絶対的に不足する被災地では、多科の複数の医師らがチームを組んで避難所を巡回することは困難である。そのようなときこそ、家庭医のように複数の健康問題を同時にケアできる医師が、医療の効率化を図る上で重要な役割を果たすことができる。避難所では、かぜ、頭痛、腹痛、腰痛から、高血圧、糖尿病などの生活習慣病、さらに不眠や抑うつ気分など心の問題に至るまで、よく起こる健康問題を包括的かつ継続的に診る能力が特に求められた。
しかも、災害時という特殊な状況下では、患者さんの気持ちや家族・地域の事情を充分に考慮した医療を、各科専門医やケアにかかわる人々と連携して行う必要がある。これはまさに家庭医を特徴づける能力を存分に発揮すべき場となった。
避難所を訪問することで、診療所や病院を訪れる患者さんだけを診ていては決して知ることができない、地域で起きている健康問題の全体像や地域の医療ニーズを垣間見ることができた。そこには身体的にも精神的にも社会的にも重大で複雑な問題を抱えながらも必死に耐えている方々が存在していた。その一人ひとりと涙ながらに語り合うことで、この地に生きる家庭医として自分が成すべきことを教えていただいた。
ただし、避難所の状況はあくまでも被災地域のほんの一部を反映しているに過ぎない。たとえば自宅で孤立している独居高齢者への支援も重要であるし、今後は避難所から仮設住宅や一時借り上げ住宅へ移動する方々が、新たな生活の場で孤立することなく自立した社会生活を営むことができることを見届けながら、新たに必要な支援を見極め提供していかなければならない。刻々と移り変わる環境と時間の経過に応じた地域全体の長期的なケアを続けていく必要がある。
地域に生き、地域で働くことのできる家庭医の育成が、福島県の地域医療再生と日本の医療の未来のために課せられた当講座の使命である。
東日本大震災という予期せぬ事態は、日頃私たちを見守り育ててくれている地域の皆さんのために、この使命を果たすことの意義を私に再認識させてくれている。そして、福島に生き、福島で家庭医として働いていけることが、私に生涯を通して“喜びと誇り”を与え続けてくれることを確信している。